人生の不公平を嘆かず「黙って登れ」 vol.442
精一杯重い荷物を背負って、 下りのエスカレーターの階段を 一段一段登るような、 そんな努力をした男です。 小林照幸「土俵の真実」 ◇ その「男」とは 大相撲の元大関、 初代貴ノ花…
精一杯重い荷物を背負って、 下りのエスカレーターの階段を 一段一段登るような、 そんな努力をした男です。 小林照幸「土俵の真実」 ◇ その「男」とは 大相撲の元大関、 初代貴ノ花…
◇ 職場でもどこでもそうだが 絶対権力者のいる環境で、 正しいことを直言し、 かつ身を保つことは難しい。 とくに戦国末期、 町人は天下人の機嫌を損ねれば命はなかった。 &…
◇ 京セラの創業者で経営のカリスマと 呼ばれる稲盛和夫氏。 そんな彼が「魂を磨いて生きる」 お手本として名を挙げるのは、 「二宮尊徳」 ◇ 稲森和夫氏の…
◇ 秋も深まり、 紅葉が美しい季節となった。 「金色夜叉」などで知られる 明治期の小説家・尾崎紅葉は、 本名を徳太郎という。 「紅葉」という筆名は、 誕生の地である東京都…
◇ 本田技研工業の創業者である 本田宗一郎は、スピーチが面白いことで 定評があった。 従って、本田氏の話術は、 社員を鼓舞するのにも、おおいに発揮された。 ◇ …
「万事を決断するに、 仁愛を本として分別すれば、 万一、当たらざることありとも遠からず」 ◇ 決断は難しい。 小早川隆景(こばや…
◇ 日本はいつからこんなに国債を発行して、 「将来からカネを借りてくるようになったのか」 大前研一氏はそれを知りたくて、 当時の大蔵省で最初に計画課長をやった人に 話を聞きにいっ…
◇ ジフ・デービスの幹部に 「どこか1社だけオススメの ベンチャーを教えてくれ」 と孫氏が問うと、社長のエリック・ヒッポーが 生まれたばかりの会社の名を挙げた。 &nbs…
◇ 平安時代のあとに武家政権の 鎌倉幕府が成立します。 鎌倉武士も京都の公家たちに 負けず劣らずよく酒を飲んでいました。 「吾妻鏡」という歴史書には、 その様子が詳しく書…
◇ 土光さんは昭和の経営者。 経団連会長・行革審会長として 国の行政改革に奮闘した。 合理主義の権化とも呼ばれた。 「お前たちは立って会議しろ。 座って会議を…
◇ 戦後日本の復興を担った経済人で、 「本物のリーダ」として敬愛される人物、 土光敏夫さんという人がいた。 50歳以上の方はご存知の方も 多いと思います。 生活が大変質素なた…
◇ 実はパンは、 学生時代に日本に滞在したことがある。 日本人の働き方について意見を求めると、 「自分は日本の職場の 専門家とはいえないけれども」 &nb…
◇ 歴史に名を残した天才たちは、 どんな風に「休息」して、身体や脳を 回復させていたのだろうか。 彼らは週に100時間働く ワーカホリックだったのだろうか。 …
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」 小林ハル ◇ 俗に「親と上司は選べない」 というが、…
願わくは花の下で春死なん そのきさらぎの望月のころ ◇ 花(桜)と月が美しい、 如月(きさらぎ)(陰暦二月)の 望月(満月)の頃に、 自分はこの世を去りたい、 &nbs…
「打てぬ日も あるイチローを 好きになり」 サラリーマン川柳 ◇ あれほど苦しみ、のたうつ イチロー選手を見たことがない。 野球の世界一をきめる2009年…
◇ 田中角栄が憲政史上の 最年少、44歳で大蔵大臣に就任したのは、 昭和37年のことであった。 東大法学部が大半を占める 「官僚のなかの官僚」たちを前にして、 就任の演説を行っ…
◇ 幕末、黒船来航後の多難な政局に、 大老として登場したのが、 彦根藩主・井伊直弼(1815〜1860)であった。 彼は混迷する時勢に歯止めをかけるべく、 反対派の公家や藩主・…
◇ 東京・銀座には「一流」と 呼ばれるテーラーが集まる。 オーダーメードで自分だけの1着を 仕立てるために、足を運ぶ政界や 経済界の著名人も少なくない。 トンビも一生に一…
◇ 先月、仕事で新潟県を訪れた。 時間があれば 河井継之助 の ふるさと 長岡藩に出向いてみたかったが、 それはかなわず。 無くてはならぬ人となるか、 有って…