源実朝と北条時頼の酒の飲み方 vol.317

 

◇ 平安時代のあとに武家政権の

    鎌倉幕府が成立します。

 

鎌倉武士も京都の公家たちに

負けず劣らずよく酒を飲んでいました。

 

「吾妻鏡」という歴史書には、

その様子が詳しく書かれていますので

いくつか紹介しましょう。

 

 

◇ まず初代将軍の源頼朝は豪華な船上での

     酒宴を何度も楽しんでいます。

 

御家人はじめ、遊女や猿楽師などを引き連れ、

海の上での盛大な饗宴です。

 

また、お正月には、「椀飯」(おうばん)と

呼ばれる最も重要な儀式が毎年行われました。 

 

三日間、ぶっ続けでの酒宴付きです。

 

盛大に奢ることを「大盤振る舞い」

といいますが、

 

語源はこの儀式にあるとのことです。

 

 

◇ 実朝が暗殺されたあとは

    北条氏が実権を握ります。

 

五代執権北条時頼に

こんなエピソードがあります。

 

ある人物が夜中、突然、時頼に呼ばれます。

 

用件はなんと、晩酌の相手を務めること。

 

肴は台所で適当に探せよ、といわれ、

壺に入った少々の味噌を見つけ、

 

二人してちびりちびり

深夜の酒を楽しんだそうです。

 

兼好法師の「徒然草」

詳しく描かれています。

 

その頼時はいっぽうで

酒の販売禁止令も出しています。

 

飲酒がそれだけ武士に悪影響を

もたらしていたのでしょう。

 

禁止令が出された際、

鎌倉中の民家にある酒壺が数えられました。

 

全部で   37,274

 

武士に限らず当時、

飲酒がいかに盛んであったかがわかります。

 

鎌倉の町にはすでに飲み屋もありました。

 

調査の翌日、民家にあった酒壺一個を残して

あとは全部破却されたと

「吾妻鏡」は伝えています。

 

そんなはずはないと思いますが………

 

<今日の名言>

 

金だけが人生ではない。

が、金が無い人生もまた人生とは言えない。

 

十分な金が無ければ、

人生の可能性のうち半分は締め出されてしまう。

   サマセット・モーム(英国の劇作家、小説家)

 

*金は持っておくことに越したことはありません。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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