赤門とバカモン  vol.227

 

◇ 田中角栄が憲政史上の

    最年少、44歳で大蔵大臣に就任したのは、

    昭和37年のことであった。

 

東大法学部が大半を占める

「官僚のなかの官僚」たちを前にして、

就任の演説を行った。

 

私はご承知のように、

小学校高等科しか出ていない。

 

しかし、世の中の経験は多少なりとも

通じているつもりである。

 

諸君は、財政、金融の専門家だ。

 

これからは、もし私に会いたいときは、

いちいち上司を通して来ることはない。

 

また

私はできることはやる。

 

できないことはやらない。

 

事の成否はとにかく、

結果の責任はすべて大臣であるこの田中がとる。

 以上

 

◇ 政治評論家・藤原博達氏は、

    田中のオヤジさんと次ぎのような

     興味ある対話をしている。

 

尋常小学校出が大臣になって、

上から抑えようとしても、

とうてい 

まともに言うことはきかんぜ。

 

どうやってやるつもりだ

 

オヤジさんはニヤッと笑って平然と答えた。

 

なに、たいしたことはない。

 

部長から局長、次官になるにつれて、

大臣から何かいわれて、

それに反対するヤツはいないね。

 

たとえば、ちょっと小遣いをやるとか、

ちょっと出世させてやる、

いいところに連れていってやる、

選挙に出たいといったら世話してやる・・・

 

そんな具合に、面倒を見て、

大事にしてやれば、ちゃんと従うものさ。

 

学歴が小学校だけの田中のオヤジさんが

どのようにして、官僚たちをあやつってていたか

というと、

 

お中元、お歳暮の時期に、

省内の課長以上、事務次官まで、

現金を封筒に入れて配っていたそうだ。

 

ちなみに、次官は100万円!

 

さすがの高級官僚も思わず顔を見合わせ、

オヤジさんに最敬礼。

 

突っ返せば反田中となり、

その後に人事上の左遷が待っている。

 

エリート官僚は人事報復を最も恐れることを

田中のオヤジさんは知ってた。

 

また、オヤジさんは東大卒(赤門)の

官僚に対してバカ門卒と呼んでいた。

 

やはり田中のオヤジさんは

人間のスケールが違う。

 

しかし、これは田中のオヤジさんに

限ったことではない。

 

これは、永田町の文化として

受け継がれているのである。

 

そう考えると、

森友・加計問題もガッテンがいく。

 

今も昔も、そこだけは変わらない。

 

だって、人間だもの!

 

<今日の名言>

 

死ぬことが不幸であれば、

人生の最後は必ず不幸になる。

      (作者不詳)

 

*死に対する考え方が変われば、

   人生が大きく変わります。

 メメント・モリ

 

今日一日の人生を大切に!

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