願わくは花の下で春死なん
そのきさらぎの望月のころ
◇ 花(桜)と月が美しい、
如月(きさらぎ)(陰暦二月)の
望月(満月)の頃に、
自分はこの世を去りたい、
そう願った西行は、
文治六年(1190年)二月十六日、
河内国弘川寺で望み通り入滅した。
享年七十三歳。
日本人は、この数奇な人生を送った
西行が好きで、理想の「隠者」として、
後世まで慕われ続けてきた。
たとえば、江戸時代の末期、
西行に憧れて、自らを「東行」と
号したのが長州藩士高杉晋作であった。
なお「隠者」とは、
俗世をはなれた世捨て人のことである。
西行は武門に背を向けて、
約三十年もの間自由気ままな
行脚僧として歌を詠み続ける。
ただ、彼の花鳥風月の歌は、
いずれも大きな悲しみを湛えていた。
花も鳥も美しい虹も、先人の業績も、
一瞬の虚空でしかない。
それを承知で自然と一体となる生き方に、
西行は喜びを感じ続ける。
さて、冒頭の有名な西行の一首だが、
これは死への願望を歌ってはいるものの、
いわゆる辞世の歌ではない。
六十二、三歳の頃の作とされる。
ここをまた われ住み憂くて浮かれなば
松はひとりにならむとすらむ
すべてのしがらみを捨てた勇気と決断、
自然の中で生涯をくらせた羨望の思い、
そうした生き方の魅力は、
後世の日本人の多くを
今なお引きつけて放さない。
今日一日の人生を大切に!
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