中国人の歴史認識⑫ vol.1121
◇ 抗日戦争中、 中国の900を超える都市が 日本軍に占領された。 今日の若い世代は、 祖父母やさまざまな人たちから、 この戦争についての多くの話を 聞いていると思われるが、…
◇ 抗日戦争中、 中国の900を超える都市が 日本軍に占領された。 今日の若い世代は、 祖父母やさまざまな人たちから、 この戦争についての多くの話を 聞いていると思われるが、…
◇ 今日、中国の人々は、 林立する記念碑に囲まれて 暮らしていると言ってもよい。 いずれも博物館、史跡、 公共的な彫刻作品などを通じて、 市民に過去を 思い起こさ…
◇ 現代の日本人にとって、 あの100年の間の 外国による侵略や不平等条約は、 単に歴史の教科書や 人々の思い出の中の 出来事に過ぎない。 しかし これらの条約や戦…
◇ 中国の歴史的記憶の中で、 もうひとつ重大な日付が、 1937年12月13日 南京が陥落した日である。 それから六週間 日本の兵士たちは、 南京…
◇ 1931年9月18日 これは中国の 集合的記憶の中では、 大変重大な日付だ。 祖国の歴史の中で、 最も暗い時代の幕開けを 告げるものだからである。 …
◇ 中国で歴史が語られる場合、 長い間に味わった国恥は、 しばしば次ぎの三つの 慣用旬で表現される。 屡戦屡敗・・・ 度重なる戦いと敗北 (リュー・ジャン・リュー・バイ) &n…
◇ 中国語の「中国」 という呼称は、 「中央、真ん中」 の 「王国、国家」 という意味になる。 中国人は 「天下の中央」の王国に 暮らしていると確信していた…
◇ 中国の王朝でいえば 明代半ばにかけて、 西ヨーロッパは 激動の時代をくぐり抜けていた。 それに引きかえ中国は、 政治機構にしろ、 経済の運営にしろ、 &n…
◇ 現代の中国における 歴史意識には、 1800年代半ばから 1900年代半ばまでの、 「恥辱の一世紀」が 重くのしかかっている。 中国人はこの期間を、  …
◇ 国家の祝日や記念日は 単なる休日ではない。 それぞれの日付には 意味があり、 特別な日だとされている。 国家の支配層は そこを利用して、 市民たちに、 同じ国民とし…
勿忘国恥 (ウーワン・グオチー) “Never forget national humiliation” ・・・・国恥を忘れることなかれ ◇ これが中国の 国民的スローガンである。 「国が…
◇ いま中国の若年層たちは いったいなぜ、これほどまでに ナショナリズムを信奉し、 愛国主義的なのだろうか。 中国の愛国主義の源泉は いったいどこにあるのだろうか。 天安門事…
一己を安くせむとて、 数千の人を損ずるは 不仁の甚だしきなり ◇ 江戸時代の藩にも リストラの話はあった。 藩でリストラがされる時には 立場の弱い「一代限り」の足軽が 真っ先に狙われた。 &…
◇ 明治維新の日本が持っていたものは、 「教育へのあくなき情熱」であった。 「郷中教育」をうけた西郷隆盛は、 政府の高官になっても教育をやめなかった。 自分が良いと思った価値を、 次世代に伝…
◇ 薩摩藩士の子供は、 こんな思考訓練を千回以上も 繰り返していた。 西郷隆盛 や 東郷平八郎は、 こういう教育土壌の中から 出てきた人物といってもよい。 薩摩人は「もし、こ…
◇ 学問を実地に試す 薩摩の郷中教育は 「詮議」といものを生み出した。 「詮議」とは、 実際にはない状況を 頭の中で仮想させて、 対処を考えさせる いわゆるシュミレーションの ことである…
◇ 薩摩の家庭教育は 「東郷元帥詳伝」で、 その内容を垣間見る ことができる。 8歳ごろから 東郷平八郎は兄達と、 毎朝、未明に起きた。 それか…
◇ 薩摩で行われた青少年教育は 「郷中教育」(ごじゅう)という。 薩摩の郷中教育には、 決まった教室も校舎もない。 毎日、若者が集まって、 その日の集会場に他人の家の座敷を 借りる交渉から始ま…
◇ 会津と佐賀とは 違うタイプの教育も、 あの時代に存在していた。 薩摩溜の人材育成だ。 薩摩藩の制度は、 高禄の家臣はあえて政治にかかわらず、 経済のことは、 小禄の才知…
◇ 佐賀藩の「学問地獄」は激しい。 「明や清の登科及第法より厳酷」 とまで大隈は言っている。 彼のつくった早稲田の校風が 自由なのは、そのせいなのである。 会津や佐賀藩士は、 視野…