歴史にみる教育のあり方 <最終回> vol.1092

◇ 明治維新の日本が持っていたものは、

 「教育へのあくなき情熱」であった。

 

「郷中教育」をうけた西郷隆盛は、

政府の高官になっても教育をやめなかった。

 

自分が良いと思った価値を、

次世代に伝える努力をする。

 

そういった情熱が我々には、

少し足りないのかもしれない。

 

このままでは、想定外の事態に

対処できなくなるのではないだろうか。

 

◇ 自分の子供に、

 

「もし○○になったら、

    どうするか!」

 

と考えさせる判断力の鍛錬は、

重要のような気がしてならない。

 

しかしこれは、

子供だけの話ではない。

 

当然我々にも言えることである。

 

◇ 咋今の世の中で起きている

  事件等のニュースを見ていると

 

 判断力の欠如によるものがほとんど。

 

我々にもこの「薩摩式の教育」

必要ということになる。

 

社員や管理者研修で、

この薩摩式の「詮議」

はじめてはいかかだろうか。

 

たとえば・・・

 

社員が県外に人事異動。

その際顧客情報も持ち去り、

 

その後、大量の個人情報のもれが発覚。

 

さあ、どうするか!

 

昨日、キャバクラで深酒をして

帰宅したのが午前3時15分。

 

 翌朝寝坊して起きたのが8時25分。

 出勤時間は9時。

 交通機関では間に合わない。

 

 車庫には自家用車あり。

 

 さあ、さあ、どうするか!

 

こんなことを社員研修で、

何度も何度も何度も

詮議しなければならない。  完

 

 

<今日の名言>

人間は環境を改善することを切望するが、
自分自身を改善しようとはしない。
だから彼らは縛られたままなのだ。

   ソェームス・アレン(作家)

*まわりは見えるけど、
 自分自身のことは見えない。
 これが人間の特性だ。

 

今日一日の人生を大切に!

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください