中国人の歴史認識③ vol.1112

◇ 国家の祝日や記念日は

  単なる休日ではない。

 

 それぞれの日付には

 意味があり、

 特別な日だとされている。

 

国家の支配層は

そこを利用して、

 

市民たちに、

同じ国民としての歴史を

繰り返し、繰り返し思い起こさせる。

 

◇ その日がなぜ

  記念すべき日であるのか、

 

  毎年その日が来るたびに、

 

  それぞれの祝日は

  それぞれのストーリーを語り継ぐ。

 

 どの祝日も、

 国民の歴史の一部を

 想起させる役割を果たしている。

 

◇ 1959年のチベット動乱、

 

   1989年の天安門事件が

  起きた日などは、

 

 中国政府によって

 公式上無視されてきた。

 

どの記念日を祝うのかを

決める際、

 

中国政府は中国の歴史の

特定の部分に無視を決め込む。

 

政府として忘れ去りたい

出来事については、

 

人々がただ

諮論するのさえ禁止する。

 

何を記憶し、

 

何を忘れるべきか、

 

その取捨選択は、

歴史教育にとっては

単に機械的な仕分け作業ではない。

 

「歴史的記憶」というものは、

単なる歴史の解釈ではないからだ。

 

◇ 政府が歴史をどう規定するかは、

  極めて政治的な問題であって、

 

 政府の支配の正当性とも

 密接に関わり、

 

 まさに中国の

 国民的アイデンテイティを

 形作るものであるのだ。

 

社会学者の

アントニー・D・スミスが

主張したように、

 

「記悟なくしてアイデンテイティなし。

 アイデンテイティなくして国民なし」 だ。

 

過去に関する

こうした集団的記憶こそ、

 

一群の人々をひとつに

結びつけるものである。

 

はたして、

われわれ日本人には

アイデェンティティがあるのか、

 

そんな疑問さえ湧いてくる。

          つづく

 

<今日の名言>

他の人々が書いたものを読んで、

自分自身を高めること。

そうすれば、他の人々が苦労して

到達した場所に、簡単に到達できる。

          ソクラテス

*その分野ですでに成功している
   人たちが書いた書籍を読んだり、
 モデリングすることで学び、
 時間を買うことが可能となります。

 

今日一日の人生を大切に!

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