◇ 本日は「がん死」について
考えてみることにする。
がんと闘うことの苦しみや辛さは、
その身にならなければ、
到底わかるものではない。
しかし、たとえ肉体が
がんに蝕まれようとも、
人間が人間であることの
尊厳を守りつづけたとき、
そこには、
決して滅びることのない生の証しが、
厳粛な実在となって遺る。
最期の日々の生き方とは、
とりもなおさず
「自らの人生の選択そのもの」
であるということである。
◇ 死を考えるとは、
「死に方」を考えることである。
「死に方」とは、
死を前にして
いかに生きるかを
考えることに他ならない。
世の人々のなかには、
「ぽっくり願望」を抱く人が
相当数いると聞く。
脳卒中や心臓麻痺による
突然死のほうが、
長々とした闘病の末に死ぬよりは、
痛みも苦しみもなくていい、
というわけである。
しかし、突然死では、
「自分の人生しめくくりが
できないのではないか」
という思いが、トンビには強い。
◇ トンビが突然死より
「がん死」という考えに
傾いているのは、
残された時間が、
仮に一週間とか一ヶ月で
あってもよいから、
人生を総括するだけの時間が
欲しいのである。
◇ 心理学者ユングは死に関して
次のようにいっている。
弾の軌道が標的に達して
終わるように、
人生は死をもって終わる。
したがって、
死は人生全体の目標なのだ。
その人生の上昇と、
その頂点さえも、
死に到達しようという
段階であり、
手段であるに過ぎない と。
「死はまさに人生の目標」
である。
その目標に向かって
しっかりがんばらなければならない。
<今日の名言>
たとえ地球が明日終わりであっても、
私は今日リンゴの木を植える。
マルチン・ルター
*残り時間は少ないけれども、
日々の仕事を全うする生き方が胸に響く。
今日一日の人生を大切に!
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