コロナ禍の良好な人間関係の重要性 ②        vol.940

こうした文章を記すたびに

  思い出す故事成語がある。

 

 戦国四君の一人、

   孟嘗君(もうしょうくん)に由来する

 

 「鶏鳴狗盗」(けいめいくとう)

 

 という言葉がある。

 

もしご存じない方は、

少し長いが以下に紹介する。

 

 ———————– 

 

紀元前299年に秦の昭襄王は、

田文(筆者注:孟嘗君のこと)を

宰相として迎え入れようとした。

 

田文はこれに応えて秦に入ったが、

 

ある人が昭襄王に、

田文は当代一流の人材であるが

斉の人間であるから、

 

秦の宰相になっても

斉の利を優先するに違いない。

 

斉に帰せば秦の脅威となると進言、

 

昭襄王はこれを容れて田文が

滞在している屋敷を包囲させ、

田文の命は危うくなった。

 

田文は食客を使って

昭襄王の寵姫に命乞いをしたが、

 

寵姫は田文の持つ宝物

「狐白裘(こはくきゅう)」

と引き替えなら

昭襄王に助命を頼んでも良いという。

 

しかし、田文は秦に入国する前に

昭襄王にこれを献上していた。

 

悩んでいた所、

食客の一人である狗盗が名乗り出て、
(犬のようにすばしこい泥棒)

昭襄王の蔵から狐白裘を盗んできた。

 

これを寵姫に渡すと、

その取り成しによって

屋敷の包囲は解かれ、

 

田文はひとまず

危機を逃れることができた。

 

しかし昭襄王の気が

いつ変わるかわからない。

 

そこで田文は急いで帰国の途に着き、

夜中に国境の函谷関までたどり着いた。

 

しかし関は夜間は閉じられており、

朝になって鶏の声がするまでは

開けないのが規則だった。

 

すでに気の変わった昭襄王は

追っ手を差し向けており、

 

田文もそれを察して困っていたところ、

食客の一人である物真似の名人が名乗り出た。

 

そして彼が鶏の鳴きまねをすると、

それにつられて本物の鶏も鳴き始め、

 

これによって開かれた函谷関を抜けて、

田文は秦を脱出することができた。

 

昭襄王の追っ手は

夜明け頃に函谷関へ着いたが、

 

田文らが夜中に関を通ったことを知ると

引き返した。

 

こうして田文一行は虎口を脱した。

 

常日頃、学者や武芸者などの食客は、

田文が盗みや物真似の芸しか

持たないような者すら食客として

受け入れていたことに不満だったが、

 

このときばかりは

田文の先見の明に感心した。

 

「つまらない才能

  あるいは

「つまらない特技でも、何かの役に立つ」

を意味する、

 

鶏鳴狗盗(けいめいくとう)

 

の故事はここから来ている。

          つづく

 

 

今日一日の人生を大切に!

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