「どうせ……」を捨てる人生の意味 vol.988

江戸中期の俳人、

    滝瓢水(たきひょうすい)の句に、

 

 濱までは海女(あま)も

   蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな 

                       

という名句がある。 

 

瓢水は播磨の人。

 

千石船を何隻も持つ

豪商の家に生まれたが、

 

その天才のため家業を

維持することができず

に破産させてしまう。

 

蔵売って日当りのよき牡丹かな     

                       

と達観することができた人でもある。

 

物や金に目がくらんでいて、

    よく見えなかったものが、

 

    破産によって、

    邪魔するものがなくなり、

 

それまで見えなかった美しいものが

目に入るようになったという発見だ。

 

しかし、

「濱までは海女の蓑着る時雨かな」は、

 

 もっと深いものを

  たとえているように思われる。

 

海女は浜へ着けば、海に入る身、

濡れることは当然わかっている。

 

時雨が降ってきても、

 

「どうせ、すぐ濡れるのだから

                  雨に濡れていこう」

 

などというつつしみのない

考えはしない。

 

やがて濡れる身であることは

わかっているが、

 

それまでは濡れないように

蓑を着てわが身をいとう、

 

大切にするというのである。

 

「どうせ」という弱い心を抑えて、

わが身をかばい、美しく生きるたしなみ、

 

それが人間の尊さであるのを暗示している。

 

この「濱」を「死」に読みかえると

    この一句の意味はいっそう深くなる。

 

「人間はどうせ死ぬ身である」が、

  この「どうせ」という考えを捨てて、

 

わが身を大切にして生きる心が

なくてはならない。

 

瓢水自身、

第一の人生は失敗だったが、

 

第二の人生で不滅の仕事を

したと言ってよい。

 

現代に生きる人間にとっても

多くのことを考えさせられる。

 

瓢水同様、

死ぬまで気を抜かないようにしなければ。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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