野村克也氏の偉大なキャリアに終止符  vol.716

捕手としても、

    バッターとしても活躍し、

    数々の記録を打ち立てた野村克也氏。

 

 家計に限らず子供の教育も近所付き合いも、

 すべて妻任せだったという。

 

その彼が先月11日に虚血性心不全のため

84歳で死去した。

 

現役時代には南海などで活躍し、

戦後初の3冠王となり、

 

ヤクルトや阪神、楽天の監督としては

3度の日本一に輝く名将として知られた。

 

◇「「自分はここまで」と自己限定せず、

   やりたいことや目標を持ち続けることが、

   生きる意欲や成長につながる」

 

  と野村氏はいう。

 

あとは、健康のために我慢しないこと。

 

健康に悪いからと好きなものを

我慢してストレスをためるより、

 

好きなものを食べて元気でいた方が

いいというのが野村氏の持論のようだ。

 

サッチーさんがいた頃は、

「現金を持たせると女に使うから」

とお金を持たせてもらえず、

普段の支払いは全てクレジットカード。

 

銀行からお金を引き出す方法も

知らなかったようだ。

 

テスト生として南海ホークスに

 入団できたが、契約金はゼロ。

 

月の給料は7000円で、

寮費3000円を支払って残った4000円から、

毎月1000円を実家に送り続けた。

 

野村氏に言わせると、

「優勝チームに名捕手あり」

 というぐらいキャッチャーが重要だという。

 

 野球は頭のスポーツ。

 

キャッチャーは守りにおける監督の分身。

 

誰よりも敵を知り、己を知って、

細部にも目を配ってプレーしなきゃならない。

 

ありとあらゆるデータを頭に入れて、

それをしっかりできている捕手は

残念ながら今は見当たらないという。

 

彼の信条は、

 「理をもって動かす」

 恐怖で動かそうとするのは大嫌い。

 

理論がないから、恐怖や暴力で

選手を動かそうとする監督が出てくる。

 

理で動かすには、

確固たる信念や理論を持つことだけでなく、

それを伝える言葉を持っていることも重要。

 

現役を終えてから読書量をかなり増やして、

言葉力を鍛えたことが、

 

自分の野球理論をしっかりと

選手に伝えるのに役立ったと彼は言う。

 

監督としての実績も評価されており、

  楽天時代の教え子、

  ヤンキースの田中将大投手は、

 

「ピッチングとは何か、

 野球とは何かをゼロから教えて頂いた。

 

 プロとして一年目で出会い、

 指導を受けたことは、

 僕の野球人生で最も幸運なことだった」

 

と感謝の気持ちを表した。

 

野球の本場・米国のメディアも

野村氏の偉大なキャリアに最敬礼していた。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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