アドラー心理学入門⑥    vol.1057

◇ もしも、人生が

   山頂にたどりつくための

   登山だとしたら、

 

  人生の大半は、

「途上」になってしまう。

 

また、登山そのものが

失敗に終わる可能性もありうる。

 

そうなると「仮の人生」のまま、

人生が中断されてしまう。

 

しかしながら、

アドラー心理学の立場は違う。

 

◇ 人生を登山のように

  考えている人は、

 

   自らの生を

 「線」としてとらえる。

 

この世に生を受けた瞬間から

はじまった線が、

 

大小さまざまなカーブを

描きながら頂点に達し、

やがて死という終点を迎えるのだと。

 

しかし、こうして人生を

物語のようにとらえる発想は、

 

フロイト的な原因論にも

つながる考え方であり、

 

人生の大半を「途上」として

捉えてしまう考え方なのだ。

 

◇ 線としてとらえるのではなく、

 

  人生は点の連続」

  なのだと考えこと。

 

    線のように映る生は

    実は点の連続であり、

 

すなわち

人生は連続する刹那なのだ。

(刹那:仏教の最小時間単位)

 

◇ われわれは

 「いま、ここ」にしか

  生きることができない。

 

「いま、ここ」

  強烈なスポットライトを当てよ!

 

あなたは過去と未来を見ることで、

自らに免罪符を与えようとしている。

 

過去にどんなことがあったかなど、

 

あなたの「いま、ここ」には

なんの関係もないし、

 

未来がどうであるかなど

「いま、ここ」で考える問題ではない。

 

確かに、

人生を物語に見立てることは

おもしろい作業になる。

 

そして、物語の先には

「ぼんやりとしたこれから」が

見えてしまう。

 

しかも、その物語に沿った生を

送ろうとする。

 

悪いのはわたしではなく、

過去であり、環境なのだと。

 

ここで持ち出される過去は、

まさしく免罪符であり

人生の嘘に他ならない。

 

しかし、

 

「人生とは点の連続であり、

       連続する刹那である」

 

このことが理解できれば、

もはや物語は必要なくなる。

 

目標などなくてもいい。

 

「いま、ここ」を真剣に生きること。

 

人生における最大の嘘、

それは「いま、ここ」を生きないこと。

 

過去を見て、

 

未来を見て、

 

人生全体にうすらぼんやりとした

光を当てて、

 

なにか見えたつもりになる。

 

あなたはこれまで、

「いま、ここ」から目を背け、

 

ありもしない過去と

未来ばかりに光を当ててきた。

 

「いま、ここ」に

 強烈なスポットライトを当てよ!

 

アドラー心理学の究極は

ここに行き着く。

 

フロイトよりもユングよりも

大変奥が深い。

 

アドラーの登場により、

人生対する視点がまたひとつ

増えたことになる。

                   完

 

 

今日一日の人生を大切に!

*この言葉もアドラー心理学からの
    引用である。

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