石田三成の戦略ミス② vol.1050
◇ 最大の誤算は西軍首脳の 戦略目標にブレがあった点だ。 西軍首脳に数えられるのは 三成のほか、 毛利輝元、宇喜多秀家、大谷吉継、 小西行長、安国寺恵瓊--と多い。 …
◇ 最大の誤算は西軍首脳の 戦略目標にブレがあった点だ。 西軍首脳に数えられるのは 三成のほか、 毛利輝元、宇喜多秀家、大谷吉継、 小西行長、安国寺恵瓊--と多い。 …
◇ 「怜悧(れいり)な インテリ官僚という 石田三成のイメージは、 後世の間違いで、 武将としての資質を備えていた」 ――と、 中野等・…
◇ 中国で最高のヒーローは 誰かと聞くと、 「岳飛」という答えが返ってくる。 岳飛は南宋時代の武将で、 民衆にも絶大な人気を誇っていた。 その岳飛の影響力拡大を恐れた 宰相の「秦檜…
◇ トンビたちの世代は 学校の授業では、 端的にいって 「日本は無謀な戦争をして負けた」 と教えられてきた。 そんななかで会田雄次氏の 『アーロン収容所』(中公新書) に出会っ…
◇ 戦時下の暮らしを つぶさに知る世代は、 若い人でも75歳の坂を越えている。 戦後生まれのトンビは、 戦争体験者である祖父母や母から 当時の話をじかに聴いた世代である。 トンビの後ろ…
◇ ロシアの皇太子ニコライの 日本訪問は、 1891年(明治24年)、 滋賀県で警備の巡査・津田三蔵に 切りつけられて負傷した、 あの 大津事件 である。 ◇ 裁判では、…
「戦国策」: 前漢末の学者劉向(りゅうきょう)が、 皇帝の書庫にあった「国策」「国事」 などの竹簡を編んで作ったのが『戦国策』 …
◇ 大村益二郎は、もともと 村医者の子に生まれた。 そこで彼が最先端の蘭学や兵学を学び、 ついには日本の陸軍をつくる という大仕事をやってのけた。 司馬遼太郎は、大村の他にも 緒方洪庵…
出る月を待つべし 散る花を追うことなかれ ◇ 中根東里は徳川時代に存在した あらゆる学者の中で、 もっとも清貧に生きた人である。 驚くべき思想に…
◇「万世一系」の日本と 「易姓革命」の中国は非常に対極的だ。 *万世一系 永久に一つの系統が続くこと。 特に皇室についていう。 *易姓革命 姓をか(易)え、命をあらた(革)めるという…
◇トンビは昔から、 日本は30年周期で大きな変化が 起きていると考えている。 ・1930年からの大きな戦争があった時代 ・1960年からの高度成長時代 ・1990年からのバブルの 後…
◇ 元東京都知事の猪瀬直樹氏が 作家時代の1983年、 今から36年前に 「昭和16年夏の敗戦」 という本を書いた。 ご存知のように敗戦といえば、 昭和20年…
◇ 鉄舟が西郷・勝会談に同席したのは、 万が一の幕臣からの襲撃から 西郷を護衛する意味もあった。 勝も、内乱を長引かせるような過酷な要求は 西郷の手腕で阻止されると考えていた。…
◇ 鉄舟は勝海舟と全く面識がなかった。 開国派だった勝と攘夷派の鉄舟は そもそも接点がない。 逆に勝は先輩から 「鉄舟はおまえを殺すかもしれない」 と忠告すらされていた。 &nb…
◇ 幕末・維新の時代に、 徳川幕府と明治新政府の双方から 重用されたのが「江戸無血開城」の 陰の主役 山岡鉄舟 だった。 しかも戦火を交えた敵味方の政権から ともに人…
気味よきことは必ず後の悔やむことあるものなり。 わが気に入らぬことが、わがためになるものなり。 ◇ 鍋島勝茂(なべしまかつしげ)は 佐賀藩初代藩主。 関ヶ原合戦…
◇ 12月23日は天皇誕生日であった。 そしてこの日はもうひとつ 大きな歴史的事実が刻まれている。 この日はA級戦犯七名が 処刑された日でもあった。 &nbs…
◇ 平成最後の、戦争を省みる夏がゆく。 まもなく訪れるのは次の時代だ。 そして東京五輪・パラリンピックが間近に迫る。 しかしその舞台となる新国立競技場は、 戦争の記憶と切…
◇1945年8月8日午後、 東京の中島飛行機武蔵製作所を 空襲した1機のB29が、 北多摩郡谷保村(現・国立市)に墜落し、 搭乗員12人のうち10人は墜落死、…
◇ 江戸時代の日本人にとって、 藩は目的達成のためにつくられた 大規模な組織として存在していた。 その意味で、江戸時代の藩は 日本独自の文化なのだ。 ◇ その文化…