「平安物語 」と「方丈記」の諸行無常    vol.228

 

◇ 鎌倉時代のはじめに

  「平安物語 」「方丈記」が完成した。

 

この二つの書き出しは、よく似ている。

 

すべてのものは、時とともに移りゆく。

 

すなわち諸行無常である。

 

行く川の流れは絶えずして、

しかも、もとの水にあらず。

 

淀みに浮かぶうたかたは、

かつ消え、かつ結びて、

久しくとどまりたる例(ためし)なし。

 

世の中にある、人と栖(すみか)と、

またかくのごとし。

                                  方丈記

 

 

◇ 鴨川は現代のいまでも

    京都の街を流れている。

 

でも流れている水は常に違う。

 

つまり鴨川という名称や概念は

 時間の中で止まっているのだが、

そこに流れている水は常に入れかわる。

 

「世の中にある、人と栖と、

                     またかくのごとし」

 

人も街も 移りゆき、入れかわる。

 

いずれトンビも世の中から消えていき、

あなたも消えていく。

 

それが世の中なのだと。

 

現代医学では、われわれの身体は、

7年で物質的には、完全に入れかわるという。

 

鴨長明は、むろんそんなことは知らない。

 

でも800年前にその本質を知っていた。

 

◇ 平家物語の冒頭のくだりは、

 

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

 

祇園精舎は、古代インドのお寺である。

 

そこには無常堂というお寺がある。

 

お坊さんが死を迎える時になると、

この無常堂に移される。

 

現代版のホスピスである。

 

無常堂の四隅には、

玻璃(はり)の鐘が下げられている。

    玻璃: ガラスまたは水晶

 

臨終になると、

このお鐘がひとりでに鳴り出す。

 

諸行無常、是生滅法、

生滅滅己、寂滅為楽      と

 

鐘の音はいつも同じである。

 

ではなぜ諸行無常なのか、

 

それは、聴く人の気持ちが

変わるからであろう。

 

人の気持ちも諸行無常である。

 

今日一日の人生を大切に!

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