そうだ、夏至だ! vol.539

 

◇ スマホのアプリで確認すると、

     日の出は  5時8分

 

    一年でいちばん昼が長い時期、

   そうだ、今が まさに 夏至 だ。

 

「夏至」という言葉で思い出した句がある。

 

一日が過ぎれば一日減ってゆく 

 君との時間 もうすぐ夏至だ
         (永田和宏)

 

たしかに外はもう明るく、

新調したカーテンの隙間から、

朝日がひたひたと打ち寄せていた。

 

◇ 太陽と一緒に目覚める動物たちは、

    人間社会のリズムではなく、

    もっと大きな自然のリズムと連動している。

 

たまたま人間としてトンビは生まれてきたが、

本来は、外でいま目覚めただろう

蟻(あり)や鴉(からす)や百合と同じ、

世界のひとかけらにすぎない。

 

それはトンビたち人間も同じはずだが、

社会に適応するうち、

 

自然の中で生きる感覚を

鈍らせてしまったらしい。

 

◇ 朝日の代わりに目覚まし時計の

    音が響けば、夏でも冬でも、

     出社の時間に合わせた画一的な朝が来る。

 

バスから地下鉄に乗り継いで、

目を閉じて、座席に座って身を委ねる。

 

地下鉄にかすかな峠ありて夏至  
        (正木ゆう子)

 

そんな都会の地下鉄でも

感覚を研ぎ澄ませれば、

闇の中の起伏を知り、

 

電車の揺れのうちに

かすかな峠を見いだすことができる。

 

これが俳人のアンテナなのであろう。

 

◇ トンビと社会をつなぐ回路を

    ひとときシャットダウンして、

    いつもと違う見方で日常を眺める。

 

すると、気づかなかったあれこれが

ふいに鮮やかに迫ってくる。

 

無意識のうちに地下鉄の起伏を越え、

夏至という季節の峠を

越えてゆくことができる。

 

俳人は、人に非(あら)ず と書く。

 

人間であることから離れ、

世界のひとかけらとなった俳人に、

季節は静かにささやきはじめる。

 

◇ 世俗から距離をとり旅を重ねた芭蕉は、

 「俳諧は三尺の童にさせよ」といった。

 

言葉を飾らず素直に詠めという意味だろうが、

まだ社会とのつながりを持たない子どもは、

俳人そのものだ。

 

大人は子どもに、ものの名前を教え、

社会のルールを教える。

 

それは、自然の中で生きる彼らを引きはがし、

人間の側へ連れてくることでもある。

 

であるなら逆に、

トンビは子どもの中に、

 

大人になる過程で忘れてきた

何かを見いだせるのではないか。

 

たとえば、季節を感じとる力とか。

 

おさなごに色かひかりか紫陽花は 
            (紗希)

 

すべてを吸い込む

ブラックホールのような瞳が、

まっすぐ紫陽花を見つめている。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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