徳川治保(とくがわはるもり) vol.1109
茶事の要とする所は、 朋友相つどいて、 信実をもって相まじり、 奢(おご)りを禁じ、 質素を本とすること 第一の事なるべし。 ◇ 江戸時代、ほとんどの大名は 安逸(あんいつ)に日を送った。 …
茶事の要とする所は、 朋友相つどいて、 信実をもって相まじり、 奢(おご)りを禁じ、 質素を本とすること 第一の事なるべし。 ◇ 江戸時代、ほとんどの大名は 安逸(あんいつ)に日を送った。 …
◇ 上杉鷹山は、 財政改革と殖産産業をはかって、 米沢藩の藩政を立て直した。 鷹山が生涯に渡って 師と仰いだのは、 「細井平洲」という 尾張生まれの儒者。 平洲は…
◇ 人間の可能性の限界に挑んだ 冒険家・植村直己 世界で最も勇敢な スポーツマンに送られる 「バラー・イン・スポーツ賞」を受賞した。 2 9歳で世界初の 5大陸最高峰登頂…
◇ 若かりし頃、 同じ落語家の三遊亭円楽師匠と 海に出かけた談志師匠。 ふと見ると、沖まで行っていた 円楽師匠が溺れかけている。 これは一大事。 ところが、 談志師匠は助…
争いを強いて避けぬと同時に、 争うべき時期の到来を待つことを必要とす ◇ 論語の中で孔子は、 立派な一人間は、 争いなどするべきではない と説いている。 ここ…
学を為すには、 人の之(こ)れを強(し)うるをまたず。 必ずや心に感興する所有って之を為す。 ◇ 佐藤一斎は江戸後期の儒者。 江戸の儒者で 講義の名手は三人いた。 室…
◇ 長嶋氏といえば、 直感・感性の人という印象が強いが、 彼のインタビューを読むと、 「三振のしかたまで 絵になるように研究した」 という話をしている。 また、 「ホームランと三塁打ならば、 三塁打のほうがいい」…
◇ 桐一葉・ 落ちて天下の秋を知る という言葉がある。 この言葉の生みの親は、 最後の相場師とも言われた 立花証券の元会長、 故・石井久氏 である。 昭和28年のスターリン死亡を きっかけに…
みなさんは「馬鹿」という 語源をご存じだろうか。 ◇ 秦の趙高が皇帝に 献上するための狩りの帰りに、 「珍しい馬が手に入った」と 鹿を連れてきた。 そこにいた多くの家臣は…
◇ 2013年5月23日 午前9時、 私は世界の最高峰エベレスト 頂上に立った。 70歳、75歳の時に続いて、 80歳にして三度目のエベレスト登頂。 …
◇ 戦国時代に、 豊臣秀吉は敵を攻めた際、 ほぼ勝利は目に見えていた にもかかわらず、 織田信長に援軍の要請を たびたびしている。 信長様のご威光がなければ、 勝利す…
旧典なりといえども、治平(ちへい)久しく、 今に至りては、時勢人情に麒輛(そご)し、 処置の当たらざることあり ◇ 堀勝名 は 江戸中期の人。 細川重肉(しげかた)の臣で 熊本藩宝暦改革を…
◇ 「吾輩は猫である。 名前はまだない」 この印象的な書き出しで 始まる文章は、 明治の文豪・夏目漱石の 「吾輩は猫である」という小説だ。 この夏目…
◇ 城山三郎氏の遺稿でもある、 亡き妻・容子さんに宛てた 「恋文」ともいえる文書は、 のちに刊行されたので 題名をご存じの方もいるかもしれない。 「そうか、もう君はいないのか」 &n…
母よ タニシにように苦い泥をのんで 黙りこくっている 歴代百姓の系列の肉親の 突然変異の特別柔弱であった そのためだけに 子守も下男も田植えもできなかった そのためだけに &nb…
◇「宗左近」という迫力のある 殺気のある詩人に出会った。 北九州市戸畑の出身。 東京大空襲の際、 目の前で母親を失った喪失感と 必死に生きていくために、 自分自身に…
十人に三人とも、 不良の臣交りつかうまつれば、 七人の忠良は有(あり)てもなきが如し 細井平洲 ◇ すべての職場に 言えることではないが、 1 0人中 3人ぐらい…
人能(よ)く己れを虚(むなしゅ)うせば、 善を人に取る ◇ 水戸藩主の徳川光圀は 中国から亡命してきた大学者 朱舜水(しゅしゅんすい)から、 ラーメンを教わり食したとされ…
◇ 中国で最高のヒーローは 誰かと聞くと、 「岳飛」という答えが返ってくる。 岳飛は南宋時代の武将で、 民衆にも絶大な人気を誇っていた。 その岳飛の影響力拡大を恐れた 宰相の「秦檜…
◇ 夏目漱石が、熊本の旧制五校で 教えていたときである。 一人の学生が漱石の自宅を 訪ねてきた。 用件は、 「試験をしくじった友人を 落第させないでほしい」 …