◇ 今年も巡ってきた
ノーベル賞の季節。
10月8日には文学賞が発表されだが、
今回は、米国の詩人、
ルイーズ・グリュック氏が受賞した。
川端康成が日本人として
初めて同賞を受賞した年、
三島由紀夫も有力候補として
名が挙がっていたことをご存知だろうか。
◇ 資料によると、
63年の文学賞候補は計80人。
三島の他に小説家の
谷崎潤一郎 と 川端康成
詩人の 西脇順三郎 も名を連ね、
日本人4人が候補となっていた。
当時の選考委員会の
エステリング委員長は三島について、
「日本人候補者の中で
最も大きな受賞のチャンスがある」
と高く評価。
「今後の発展を継続して
見守っていく必要がある」
とコメントしていた。
それでは、なぜ三島ではなく
川端であったのか。
それについて、重要な証言が
NHKで放送された番組の中で紹介された。
◇ この番組の中で
ドナルド・キーン氏が明らかにした
当時の状況の証言によると、
・当時、日本人から受賞者をそろそろ
出すべきだという認識が選考委員会の中で
高まってきた。
・そのため、日本文学の翻訳者であり
第一人者であったドナルド・キーン氏に
推薦を依頼した。
・キーンは谷崎、川端、三島の3名の
候補者の中で作家として受賞に
値するのは三島と考えた。
・しかし、日本社会や日本の文学界は
年功序列の制度があり、
重鎮である谷崎をとばして三島が受賞すると
日本の文学界に大きな混乱を
引き起こしてしまう。
・更に三島はまだ30代と若い。
生きていれば受賞するチャンスは
いくらでもある。
そういった経緯から選考委員会から
意見を求められたキーンは、
三島でなく谷崎を最有力者として
推薦したという経緯があったことを証言した。
◇ だが、スウェーデン・アカデミーが
選んだのは、川端 であり、
谷崎ではなかった。
実際には谷崎が1965年に
急遽他界したため、
谷崎でなく川端が次点として
68年にノーベル賞を受賞することになる。
なおキーンの証言と委員会が
2014年に公開した資料の
3名の評価は一致しており、
両者とも 三島 が
最有力と評価していた。
つづく
今日一日の人生を大切に!
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