ノーベル文学賞の裏事情 ①  vol.870

今年も巡ってきた

    ノーベル賞の季節。

 

  108日には文学賞が発表されだが、

 今回は、米国の詩人、

 ルイーズ・グリュック氏が受賞した。

 

川端康成が日本人として

初めて同賞を受賞した年、

 

三島由紀夫も有力候補として

名が挙がっていたことをご存知だろうか。

 

資料によると、

    63年の文学賞候補は計80人。

 

 三島の他に小説家の

 谷崎潤一郎 と 川端康成

 詩人の 西脇順三郎 も名を連ね、

 

   日本人4人が候補となっていた。

 

当時の選考委員会の

エステリング委員長は三島について、

 

「日本人候補者の中で

  最も大きな受賞のチャンスがある」

 

と高く評価。

 

「今後の発展を継続して

   見守っていく必要がある」

 

とコメントしていた。

 

それでは、なぜ三島ではなく

川端であったのか。

 

それについて、重要な証言が

NHKで放送された番組の中で紹介された。

 

私が愛する日本人へ

 ~ドナルド・キーン 文豪との70年~

 

この番組の中で

  ドナルド・キーン氏が明らかにした

  当時の状況の証言によると、

 

・当時、日本人から受賞者をそろそろ
   出すべきだ
という認識が選考委員会の中で
   高まってきた。

・そのため、日本文学の翻訳者であり
   第一人者であったドナルド・キーン氏に
   推薦を依頼した。

・キーンは谷崎、川端、三島の3名の
   候補者の中で作家として受賞に
   値するのは三島と考えた。

・しかし、日本社会や日本の文学界は 
   年功序列の制度があり、
   重鎮である谷崎をとばして三島が受賞すると
   日本の文学界に大きな混乱を
   引き起こしてしまう。

・更に三島はまだ30代と若い。
   生きていれば受賞するチャンスは
   いくらでもある。

 

そういった経緯から選考委員会から

意見を求められたキーンは、

 

三島でなく谷崎を最有力者として

推薦したという経緯があったことを証言した。

 

だが、スウェーデン・アカデミーが

 選んだのは、川端 であり、

 谷崎ではなかった。

 

実際には谷崎が1965年に

急遽他界したため、

 

谷崎でなく川端が次点として

68年にノーベル賞を受賞することになる。

 

なおキーンの証言と委員会が

2014年に公開した資料の

3名の評価は一致しており、

 

両者とも 三島

最有力と評価していた。

      つづく

 

 

今日一日の人生を大切に!

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