数学を使わない数学の講義 vol.646

 

◇ 今日は

 『数学を使わない数学の講義』
               小室直樹・著 ワック

 という一見変わった題名の本を紹介する。

 

 

◇ ある問題が起きたとすれば、

    その問題の対象になっているものが、

 

    本当に存在するのかどうかを、

    まず確認しなくてはいけない。

 

結局、解けないけれども

解があるかどうかはわかる、というのが

現代数学の素晴らしさ、恐ろしさなわけで、

 

もっといえば、

現代数学の存在問題の考え方が

あったからこそ、

 

人間が月へ行くことができた

ともいえるのである。

 

◇ 映画「容疑者xの献身」の中で、

     湯川(福山雅治)が、

 

「人に絶対に解けない問題を作るのと、

 その問題を解くのとでは、どちらが難しいか」

 

というセリフがでてくるが、

 

実際、どっちが難しいのか?

 

トンビは詳しいことはよくわからないが、

 

絶対解けない問題の解答は、

その問題が絶対解けないことの証明でもある。

 

したがって問題が提示された時点で

解決しているのであろう。

 

どうでもいいことではあるが。

 

◇ 存在問題の解決は、人間の “やる気”

    恐ろしいほどに増進させる。

 

だからこそ、人に何かを教えたり、

仕事をさせたりする場合には、

 

「まずやってみせることが重要だ」

 

とされているのである。

 

社会学における存在問題の例を

もう少し挙げてみよう。

 

◇ それは、平重盛が、

 

「忠ならんと欲すれば孝ならず、

   孝ならんと欲すれば忠ならず、

  重盛の進退ここに谷(きわ)まれり」

 

と言って嘆息したという有名な話である。

 

つまり、重盛は親である平清盛と

主である後白河法皇との対立の

板挟みに悩んだ。

 

そして親への孝行と国家の主への忠誠を

両立する道が閉ざされた状況へと

追いやられたわけだ。

 

それにもかかわらず、

忠臣であると同時に

孝子でありたいと望んだ重盛は、

ついにどうにもしようがなくなり、

 

ノイローゼになって若くして

死んでしまったのである。

 

◇ 日本人が欧米人に嫌われるのは、

    日本人が規範を持たない民族で、

 

彼らにしてみれば、

「何をやるかわからない」という

薄気味悪さがあるためなのである。

 

欧米デモクラシーの考え方においては、

「これは私の意見です」と言った場合、

 

当然、「科学とは仮説である」

という立場を踏まえており、

 

「私の意見は一つの仮説にすぎません」

 

という意味を持っている。

 

そしてまた、当然、

 

「あなたの意見も仮説にすぎません」

 

ということになる。

 

所詮、自分も含めてすべての意見は

単なる仮説にすぎないのである。

 

今日は数学の話から

変な結論になってしまった。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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