◇ 今日は
『数学を使わない数学の講義』
小室直樹・著 ワック
という一見変わった題名の本を紹介する。
◇ ある問題が起きたとすれば、
その問題の対象になっているものが、
本当に存在するのかどうかを、
まず確認しなくてはいけない。
結局、解けないけれども
解があるかどうかはわかる、というのが
現代数学の素晴らしさ、恐ろしさなわけで、
もっといえば、
現代数学の存在問題の考え方が
あったからこそ、
人間が月へ行くことができた
ともいえるのである。
◇ 映画「容疑者xの献身」の中で、
湯川(福山雅治)が、
「人に絶対に解けない問題を作るのと、
その問題を解くのとでは、どちらが難しいか」
というセリフがでてくるが、
実際、どっちが難しいのか?
トンビは詳しいことはよくわからないが、
絶対解けない問題の解答は、
その問題が絶対解けないことの証明でもある。
したがって問題が提示された時点で
解決しているのであろう。
どうでもいいことではあるが。
◇ 存在問題の解決は、人間の “やる気” を
恐ろしいほどに増進させる。
だからこそ、人に何かを教えたり、
仕事をさせたりする場合には、
「まずやってみせることが重要だ」
とされているのである。
社会学における存在問題の例を
もう少し挙げてみよう。
◇ それは、平重盛が、
「忠ならんと欲すれば孝ならず、
孝ならんと欲すれば忠ならず、
重盛の進退ここに谷(きわ)まれり」
と言って嘆息したという有名な話である。
つまり、重盛は親である平清盛と
主である後白河法皇との対立の
板挟みに悩んだ。
そして親への孝行と国家の主への忠誠を
両立する道が閉ざされた状況へと
追いやられたわけだ。
それにもかかわらず、
忠臣であると同時に
孝子でありたいと望んだ重盛は、
ついにどうにもしようがなくなり、
ノイローゼになって若くして
死んでしまったのである。
◇ 日本人が欧米人に嫌われるのは、
日本人が規範を持たない民族で、
彼らにしてみれば、
「何をやるかわからない」という
薄気味悪さがあるためなのである。
欧米デモクラシーの考え方においては、
「これは私の意見です」と言った場合、
当然、「科学とは仮説である」
という立場を踏まえており、
「私の意見は一つの仮説にすぎません」
という意味を持っている。
そしてまた、当然、
「あなたの意見も仮説にすぎません」
ということになる。
所詮、自分も含めてすべての意見は
単なる仮説にすぎないのである。
今日は数学の話から
変な結論になってしまった。
今日一日の人生を大切に!
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