◇「生まれる」というゼロの地点から
「死ぬ」という最終地点までの間に、
不公平や不平等など、
さまざまな個人差が出てくる。
だがオギャーと生まれる瞬間と、
死ぬ瞬間だけは、
すべての人が平等 だ。
いや、死ぬ間際ではなく、
定年等で、社会的に終わってしまうと、
本人は気づいてないかもしれないが、
その時点で誰もが横並びとなる。
若い頃に秀才であろうとなかろうと、
美人であろうとなかろうと、
一流の企業に勤務しようとしまいと、
終わってしまった人間の着地点に
そんんに大きな差はない。
◇ 着地点に至るまでの人生は、
学歴や資質や数々の運などにも影響され、
格差や損得がたしかにあるだろう。
だが、社会的に「終わった人」になると、
みんな同じである。
みんな横一列である。
そんなの絶対に許されない!
俺は一流企業に勤めていたんだ!
俺は頑張って取締役までなったんだ!
しかしそんなことを言っても
それはもう過去の話。
社会的に終わってしまえば、
死に向かって、誰もが一方通行で
残りの人生をずっと歩まなければならない。
その歩みはもしかしたら
虚しいのかもしれない。
◇ 人生の終着地点に向かうまでに、
その間何度も光り輝く場面は、
たしかにあるだろう。
ただしゴールには必ず
輝きを失った死が待っている。
人生のすべてがゼロに戻ってしまう死は、
トンビにとってもそれは虚しい。
だからその虚しさを和らげるため、
心の支えとなる宗教や信仰に
人間はすがるのだろう。
死んだ後にも希望があれば、
虚しさを感じることなく生きていける。
人生の終わりにも希望を持つことは
大事なことなのだ。
今日一日の人生を大切に!
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