習慣と努力について     vol.951

習慣を身につけるということは、

 「努力が不要になる」ということと

  同義である。

 

たとえ傍らから見ていて

努力、苦行に見えたとしても、

 

当人にとって習慣化されているなら

それはもはや、努力でも苦行でもなく、

【日常生活】となる。

 

一般的に、

 人生においてこれをやるといいと

 言われていることは多々ある。

 

 たとえば 読書とか、運動とか、

 勉強とか、十分な睡眠とか。

  

 

それを 

「苦行、努力として行っている人」と

  

 

「日常生活の一環として、

 当たり前のように行っている人」とでは、

 

長い時間を通してみれば

大きな差となって現れる。

 

だからこそ、

いろんなことに着手する前に、

 

習慣化を習慣化する方法論を学ぶことを

最優先すべきではないかと、

 

トンビは考える。

 

嬉しいことに、

 一度、良い習慣を身につければ、

 基本的にそれが落ちることはなく、

 

 さらに有り難いことには、

 当人は努力と思っていないのに、

 

周りの人からは努力と見てもらえる。

 

努力家でもなんでもないのに、

周りの人から勝手に

「努力家認定」してもらえる。

 

「怠け者認定」されるより、

「努力家認定」されるほうが気分はいい。

 

仮にもし、

 同じ土俵に入ってこようとする

 人がいた場合、

 

 努力して頑張って、その世界で

 生き残ろうとしている人と、

 

 一般に努力と思われていることが

 完全に習慣化され、

 

心理的、肉体的負荷を感じることなく、

淡々と、一つのことをやり続けられる人と、

 

どちらが生存確率が高まるかを考えると、

答えは自明である。

 

他の人にとっては、

  悲壮な決意と頑張りが必要なのに、

 

 自分にとっては、歯磨きするくらいの

 感覚でいられたら、

 

 その市場における立ち位置は

 安泰となるに決まっている。

 

【習慣化を習慣化するための

    方法論やメカニズム】

 

をきちんと理解し、

会得する必要があるのである。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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