清貧の儒者「中根東里(なかねとうり)」 vol.693

 

出る月を待つべし

   散る花を追うことなかれ

 

中根東里は徳川時代に存在した

     あらゆる学者の中で、

     もっとも清貧に生きた人である。

 

    驚くべき思想に達しながら

    世に知られず、

 

   今日まで埋もれている

   不思議な人物である。

 

その文章は 卓絶!

 

まず高名な儒学者

荻生徂徠(おぎゅうそらい)が

彼を激賞した。

 

江戸中に名声が広まり、

博士たちはみな驚嘆、

その文才をうらやんだ。

 

ところが、彼は学問で

    禄をもらおうとしなかった。

 

   長屋にこもり、

   食のあるときは書を読み、

 

食が尽きたら履物を作って

市売り小銭を得た。

 

そんな風だから貧しさは

    どこまでも彼を追いかけた。

 

 五二才の時、栃木の佐野で

   村塾をひらいていた彼のもとに弟がきた。

 

「難産で妻が死に、育てられない」

 三歳の幼女を置いて去った。

 

東里は独り身。


   
人生五〇年の時代、老い先も短い。

 

自分が死ねば、この子はどうなるのか。

 

幼女を膝に抱き、彼は遠くをみつめた。

 

そして筆をとって書いたのが冒頭の言葉。

 

この言葉は人生のすべてにあてはまる。

 

    人生において歓喜の瞬間は短い。

 

    大切な人との別れもくる。

 

しかし、

桜は散っても、月は必ず出てくる。

 

それを待つ時間をどのように大切に生きるか。

 

母を失ったあどけない幼女を抱きしめ、

 

この清貧の村儒者は、

そのことを言い聞かせようとしていた。 

   

「出る月を待つべし」

 

という言葉が胸に沁みこむ。

 

<今日の名言>

今できないことは、10年たってもできまい。

思いついたことはすぐやろうじゃないか。 

                        市川左団次(歌舞伎役者)

   

*良いアイデアを得たら、
 間髪をいれずに、「期限」を決め、
 より具体的な実行計画を作りあげることです。

   そしたら前に進みます。

 

今日一日の人生を大切に!

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