「過去」は過ちが去った人生 vol.509

 

日々を過ごす 日々を過つ(あやまつ)

二つは一つのことか 

生きることは 

そのまま過ちであるかもしれない日々

   吉野 弘 「続・吉野弘詩集」

 

◇ 渋々あやまちを認めた場合にも、

    責任は少しでも軽くしたいのが

   人間である。

 

そこであれこれと言い訳を考える。

 

◇ 芥川龍之介の遺稿 「暗中問答」

    登場人物は言う。

 

   四分の一は僕の遺伝、

   四分の一は僕の境遇、

  四分の一は僕の偶然、

  僕の責任は四分の一だけだ。

 

仕事がうまくいかないときに、

“私の責任は四分の一だけ” と

考えるようにすれば少しは心が軽くなる。 

 

生きていれば誰でも間違いを

犯すものなのだから。

 

吉野弘氏の詩歌は、

保身にばかりこだわりがちな

心をほぐしてくれることだろう。

 

「過去」という語を

  「過ぎ去る」と読めば、

 

何やら取り返しのつかない

平成の時代が流れたように感じられて、

不安にかられる。

 

しかしこれを「過ちが去る」と読むとき、

何かしら見えてくる明日がある。

 

「平成」もあっという間に過ぎ去った。

 

過ちをしながら、

明日からまた頑張ろう!

 

 

今日一日の人生を大切に!

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