「自己啓発」という言葉の意味    vol.333

 

「自己啓発」という熟語に使われる

    「啓発」は、中国の古典にある「論語」

 

「憤(ふん)すれば啓(けい)せず

                    悱(ひ)せんずば発せず」

 

   に由来するといわれている。

 

「憤す」とは、

 知ることができずに煩悶すること。

 

「啓す」は説明して

  わかるようにしてやること。

 

また「悱す」は、

心でわかっていても口で表現できないこと。

 

「発す」は、十分に言い表すことが

  できるように教えてやること。

 

つまり「啓発」とは、

 

物事を深く理解しようともだえ苦しみ、

どう表現すればいいか、

散々苦しんだ者でなければ

おしえることはできない、

 

という意味になる。

 

◇ 充実した気力と情熱がなければ、

     何事も進歩がなく、

 

    苦しみ悩んだ後でなければ

    上達はしないということになる。

 

自分で高めようという心意気もなく、

努力を放棄してしまっては

向上するのは難しい。

 

ともすると我々は、

上達しない責任を「教え方が悪い」と

指導する者に転嫁しがちだが、

 

しかし、あくまでも、

 

「学びの主体は学ぶ側にある」

 

というのが、「啓発」という言葉の

本来の意味となる。

 

 

<今日の名言>

炎天の 地上花あり 百日紅(さるすべり) 

             高浜虚子

 

*灼熱の空間に鮮やかな紅色の花が
 目に浮かびます。 

              

 

今日一日の人生を大切に!

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