歴史にみる教育のあり方④ vol.1081
◇ 会津藩は、下の農民から、 上は殿様まで基盤の目を引く。 この「基盤の目を引く」 これが会津藩のキーワードになった。 それぞれ身分ごとに、 「すべきこと」 &…
◇ 会津藩は、下の農民から、 上は殿様まで基盤の目を引く。 この「基盤の目を引く」 これが会津藩のキーワードになった。 それぞれ身分ごとに、 「すべきこと」 &…
◇ 田中玄宰は 「俺は家老を休む」と言って、 1年間、徹底して勉強。 全国の藩政を研究し、 教育によって藩士を締め付け、 藩を立ち直らせた実例を 見つけだした。 それが 熊…
◇ 会津藩は、「日新館」という 非常に優秀な藩校を持っていた。 会津藩とか、薩摩藩とか、 藩について語るときには、 その藩が教育の根幹に据えている 根本思想や世界観が重要となる。 &nbs…
◇ 本日からシリーズで 「教育」というものを 歴史的観点から 眺めてみたいと思う。 特に幕末から維新にかけての 各藩の人材育成がおもしろい。 ふつう、 歴史学者は過…
◇ かれこれ3年半ほど前になるが 日経新聞夕刊の「あすへの話題」で、 漫画家、エッセイストの柴門ふみ氏が 以下のように記していた。 ————R…
◇ 数年前ある人から 教えてもらい、 以来、頂門の一針と していることがある。 それは、 普通の人と同じことをしていても 普通の結果しか出ない。 普通の人と異な…
◇ 若かりし頃、 同じ落語家の三遊亭円楽師匠と 海に出かけた談志師匠。 ふと見ると、沖まで行っていた 円楽師匠が溺れかけている。 これは一大事。 ところが、 談志師匠は助…
◇ 何かを手に入れたいと 思ったら、 フットワーク軽く、 「一歩を踏み出す」 これが本当に大切である。 一歩踏み出せば、 二歩目も三歩目も四歩目も、 というように歩き続け…
◇ 例えば、 「仕事の業績が悪くて 打ちのめされるような出来事」 があったとき、 あなたならどうするか? その時はチャンス❗️…
◇ 江戸の寛政年間には 「寛政の三奇人」 と呼ばれる人がいた。 林子平(経世家) 高山彦九郎(尊皇思想家) 蒲生君平(儒学者) の3人だ。 ◇ たとえば高山は、 …
争いを強いて避けぬと同時に、 争うべき時期の到来を待つことを必要とす ◇ 論語の中で孔子は、 立派な一人間は、 争いなどするべきではない と説いている。 ここ…
◇「孟母三遷」という 有名な故事がある。 孟子は幼少のころ、 墓の近くに住んでいて、 葬式の真似ばかりするので、 母は市場の近くに移転した。 すると今度…
世界にはいろんなジョークがある。 その中でも本日は「ベトナムもの」を紹介する。 ◇ サソリがカエルに、 背中に自分を乗せて 河の向こう岸に運んでくれと言う。 するとカエルは、 …
学を為すには、 人の之(こ)れを強(し)うるをまたず。 必ずや心に感興する所有って之を為す。 ◇ 佐藤一斎は江戸後期の儒者。 江戸の儒者で 講義の名手は三人いた。 室…
◇ 海外における日本食人気の 隆盛ぶりには、隔世の感ある。 数十年前までは、 生の魚を食べる料理と言うと、 なんとなくいやな顔をした。 それが今はどうだろう。 和食と聞…
◇ ドストエフスキーを 読まなければいけない理由として、 上阪徹氏はこのように述べている。 ドストエフスキーの小説には、 人間というもののすべてが 詰まっているんですよ。 特に人間…
◇ 長嶋氏といえば、 直感・感性の人という印象が強いが、 彼のインタビューを読むと、 「三振のしかたまで 絵になるように研究した」 という話をしている。 また、 「ホームランと三塁打ならば、 三塁打のほうがいい」…
◇ 桐一葉・ 落ちて天下の秋を知る という言葉がある。 この言葉の生みの親は、 最後の相場師とも言われた 立花証券の元会長、 故・石井久氏 である。 昭和28年のスターリン死亡を きっかけに…
みなさんは「馬鹿」という 語源をご存じだろうか。 ◇ 秦の趙高が皇帝に 献上するための狩りの帰りに、 「珍しい馬が手に入った」と 鹿を連れてきた。 そこにいた多くの家臣は…
◇ 2013年5月23日 午前9時、 私は世界の最高峰エベレスト 頂上に立った。 70歳、75歳の時に続いて、 80歳にして三度目のエベレスト登頂。 …