◇ 薩摩の家庭教育は
「東郷元帥詳伝」で、
その内容を垣間見る
ことができる。
8歳ごろから
東郷平八郎は兄達と、
毎朝、未明に起きた。
それから「すねもあらわに」、
冬でも短い袴で歩く。
朝6時の鐘が鳴ると、
包みを抱えて町を走り、
西郷隆盛の弟のところに
習字を習いに行く。
ところが字は1時間しか書かない。
8時にば帰宅。
髪を結う。
母がきれいに子供の髪を結う。
東郷家では、
母は子供が寝ているとき、
頭の側を通らず、
足の側を通った。
「子供は国の宝であり、
殿様に奉公する大切な体だから、
傷つけてはいけない」
◇ 薩摩の女の覚悟というものは、
本当にすさまじい。
平八郎の兄弟が西南戦争で
死んだときは、
母は素手で遺体を
掘り出しに行き、
手を血だらけにして、
子の遺体を掘って担いで
帰ったといわれている。
薩摩の郷中教育の背後には、
薩摩の母の猛烈な子供への
愛情がある。
それが薩摩武士の勇猛さと
結びついたのだ。
◇ 髪を結い、ご飯を食べると、
その後は友人の家に集まり、
四書の素読をする。
午後になると、
木刀を取ってきて、
示現流で 「チェスト!」
と叫んで木刀を振り回し、
掛け声勇ましく、
木に向かって切り込みを行う。
それが済むと、
島津忠良がつくった
「日新公いろは歌」を唱える。
いかに薩摩の教育が実効性を
重んじていたかがこれからわかる。
「昔の人の道徳を聞いても、
自分の行いにしなかったら
何にもならぬ」
薩摩藩士は、
これを子供のころから
もう何千回も唱えていた。
何度も何度も唱えることによって、
体の中に刷り込んでいき、
必ず行動にまでつなげていく。
これが郷中教育の特徴である。
なるほど・・・
「行動までつなげないと
教育の意味がない」
・・・大変参考になる。 つづく
今日一日の人生を大切に!
コメントを残す