江戸時代の徒士が日本の近代化に果たした役割  vol.109

◇ 江戸時代の藩は、戦国の火縄銃の戦いの中で

    生まれた軍事組織です。  

 

   それが島国という特殊環境の中で

   長い間冷凍保存されました。

 

          コチコチに。

 

   ここで重要なことは、この軍事組織が

  江戸の行政組織にそのまま流用された点です。

 

   ルイ王朝など近代ヨーロッパの君主国では、

   軍隊は、行政を担当する官僚制度の

    外につくられました。

 

   ところが日本では、戦国の軍事組織が

   そのまま行政組織に使われました。

 

  たとえば「鬼平犯科帳」で知られる

   長谷川平蔵の「火付盗賊改め」

  火盗改めは、先手頭(さきてがしら)

  という戦場の切り込み隊長が任命されました。

 

  合戦時、最前列で銃弾を集中的に

  浴びながら敵陣に臨む名誉の職です。

 

    極めて重責です。  

   トンビには務まりません。

 

  命知らずの武勇の者がなり、

  部下も気が荒い。

 

  これが平時にあっては将軍様に

   あだなす盗賊を真っ先に制圧する役に

   ついたのです。  

 

      なるほどなるほど。

 

  要するに軍隊がそのまま

  行政機関に流用されていました。

 

   幕府や藩は行政機関にみえますが、

   実際のところは「軍隊」です。

 

   武士の家格も軍事編成でした。

 

◇ 藩の武士には3つの身分があります。

       徒士(かち)・  足軽      

 

      このうち、侍が上士です。

 

徒士 は、乗り物に乗ることができません。

 

  つまり徒歩で行列に参加する

   下級武士のことです。

 

「坂の上の雲」

   秋山好古・真之兄弟も身分は 徒士 です。

 

    伊予松山の「徒士町」で生まれました。

 

    生家は今でも見学できるように

    保存されています。

 

    また、道後温泉近くには、

     秋山好古の墓所があり、

     先日温泉に訪れた際に、

     墓参してまいりました。

 

◇ 秋山家は微禄です。

    (もちろんトンビ家も微禄)

 

  そこで秋山兄弟は軍隊で給料を

  もらうほかありませんでした。

 

  秋山家は 徒士 ですから

  馬に乗れた身分ではありませんでした。

 

  それが軍隊に入れば馬に

  乗れるようになります。

 

海軍軍人になれば、それこそ大出世です。

 

上士の士族年金が現在の300万円のとき、

軍人の年収は400万円。

 

もし軍人になれば、上士の年金を

追い越せるわけです。

 

徒士 は、身分にこだわる上士と

違って学校教育にまったく抵抗がありません。

 

読み書きはもちろんそろばんもできます。

 

結果的に徒士から軍人になるものが

たくさん出ました。

 

◇ 旧武士のうち、この徒士層が、

    実は、日本の近代化に大きな役割を

    果たしていたのです。

 

乃木希典、児玉源太郎、大山巌、黒木為楨

 

   日露戦争の将軍は、ほとんどが

   禄高50石ぐらいの徒士出身です。

 

    日露戦争の将軍に旧農民はいません。

 

     旧大名もいません。

 

  この旧徒士が将軍やっていたのです。

 

          そうなんです。

 

この徒士層の身分的に満たされてないものが、

エネルギーに変わり、そしてそれが熱源となり、

そしてそこに教育や軍事制度が結びつき、

日本の近代化を推し進めて行きました。

 

人間は常に満足している状態に

常時置かれていてはダメですね。

 

微禄の家に生まれて  よかった、よかった、

そこには偉くなれるチャンスがあります。

 

そんなことを歴史は教えてくれます。

 

今日一日の人生を大切に!

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