令和時代に必要な「論語」と「算盤」② vol.543

 

◇ 渋沢栄一の代表的な思想である

     論語(仁義道徳)と算盤(生産利殖)の

     現代意義とは何だろうか。

 

一般的には「倫理的資本主義」と云われ、

栄一氏自身も「道徳経済合一説」と表現していた。

 

ただ、「論語と算盤」が示す正しい道理に

基づいた経済活動とは手段であり、

目的ではない。

 

「論語と算盤」の目的の現代意義とは

  「 サステナビリティ」(持続可能性)だと思う。

 

「サステナビリティ」には算盤が不可欠だ。

 

ただ、算盤だけを見つめていると

つまずいてしまうかもしれない。

 

一方、著しく世の中が変化する最中に

論語を読むだけでも

サステナビリティが乏しい。

 

「論語」か「算盤」ではなく、

      あくまでも

「論語」と「算盤」ということになる。

 

未来へ前進する車の両輪のような関係であり、

片方が大きくて、片方が小さければ、

 

同じところを回るだけで

前進することができない。

 

◇ ここで大事な要素は何かというと、

 

経済社会の原動力となる

   大河のようにお金が循環すること

 

・自分の身丈に合った消費をすること

 

・持続的な価値創造を

   対象に投資を実践すること

 

◇ 私たち一人ひとりも

    「未来を信じる力」

    少なからず持っている。

 

その微力な未来を信じる力が

一滴一滴と寄り合って流れ始めれば

「今日よりもよい明日」

実現させる勢力になる。

 

5年後に新紙幣が日本社会で流通する頃、

渋沢栄一は大きく声を上げるだろう。

 

「ワシは暗いところが嫌いじゃ。

    タンスに入れっぱなしにしないでくれ!

 

『論語と算盤』より抜粋

 

論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの。

正しい道理の富でなければ

その富は完全に永続することができない。

従って、論語と算盤という懸け離れたものを

一致させる事が今日のきわめて大切な務めである。

 

◇ 渋沢栄一氏の講演集である「論語と算盤」

    刊行されたのは1916年、大正5年であった。

 

明治時代を経て、新興国である日本が

当時の先進国に追い付いた時代背景があった。

 

そういう意味で豊かな生活に恵まれていた

日本社会へ渋沢栄一が警告を鳴らしていたのは

「正しい道理の富」であった。

 

富の永続性には正しい道理が不可欠と考えた。

 

しかしながら、その新しい時代の幕開けに、

当時の日本社会は耳を貸さなかった。

 

大正という短い時代の後に到来した

昭和の初期は、

 

日本の暗黒時代であり、

サステナビリティが問われた時代になった。

 

お金をタンスや預金に入れっぱなしに

することで満足するという経済社会は、

衰える経済社会でもある。

 

政府が金融緩和の大義で株式ETF

買い続けることに安楽を抱く株式市場、

 

公共支出を増やし続けることが

成長の処方箋と甘んずる事業も同じだ。

 

「未来を信じる力」

民間の個々が合わせることによって、

 

新しいお金の流れが

新しい時代の原動力となる。

                               

 

 

今日一日の人生を大切に!

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