ある男とある男の物語 ①   vol.302

 

◇ 本日は、奇妙な本を紹介する。

 

アマゾンや楽天では決して

手に入れることができない本である。

 

本日から2日間、心して読んで欲しい。

 

題目は「男色木芽漬(だんしょくきのめづけ)」

 

男の同性愛をあつかった小説らしい。

 

なんとなく、題目からして意味深な感じだ。

 

背筋に冷たいものが走る。

 

ご存知の方は少ないと思われるが、

 

日本は古来から こっちが大変盛んであった。

 

外国人もビックリするくらいに。

 

◇ 16世紀以降、ザビエルをはじめ

 多くの宣教師が来日したが、

 

彼らが本国に送る手の中身を見てみると、

日本人についてこのように書いている。

 

日本人は優れた天性と風習をもち、

 世界中のもっとも高尚で思慮あり、

 よく教育された国民に匹敵する。

 

しかし悪い面ではこれ以下がないくらい

善悪の矛盾が極端である。

 

彼らの第一の悪とは、

「色欲のふけること」である。

 

それも最悪の罪は男色(衆道)である。

 

彼らはこれを重大なことだと思わないから、

若衆たちも関係のある相手も

これを誇りにして公然と口にする。

 

仏僧は、女との関係を罪悪として

禁じられているため、衆道の悪徳に耽る。

 

なるほど、日本人には古来から

このような性癖があったのか!

 

前置きはこのくらいにして、

本文に入ることにする。

 

「男色木芽漬」が書かれたのは、

    元禄頃である。(1688~1704)

 

   赤穂浪士の討入りがあったころで、

   武家社会にはまだ戦国の遺風があって、

 

   まだ随分と男気の強い社会であった。

 

したがって、あっちも大変盛んであった。

 

だから、殿様にお茶をだし、

来客を案内する社長秘書兼受付嬢も

 

   「 児小姓(こごしょう)

 

   という美少年が勤めた。

 

   児小姓は「藩の顔」である。

 

  藩内から美形の少年が集められ、

 

  綺麗な振り袖をきせられて、

 

  大人の草履取りがつけられ、

 

  大切に世話されながら御用を勤めた。

 

この「男色木芽漬」にも児小姓の話がでてくる。

 

◇  真野山三郎は   十五歳。

 

    まるで中秋の名月のように

   一つの欠点もない美貌の持ち主であった。

 

いま風に言うと 「超イケメン」

 

元禄の頃は「超イケメン」は、

現代ではあまり考えられないが、

女よりも男にモテたのである。

 

あまりの美しさに、口をあけて

 眺めぬ者はいなかったという。

 

 江戸時代の藩では「児小姓吟味」といって、

 

 男色を好む殿様が美少年を

 家中からくまなく探させ、

 お側に差し出される風習があった。

 

当然、自然の成り行きで

 

山三郎も殿にねらわれた!

                                      つづく

 

 

今日一日の人生を大切に!

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