歴史にみる教育のあり方⑫ vol.1089

薩摩の家庭教育は

   「東郷元帥詳伝」で、

 

    その内容を垣間見る

    ことができる。

 

  8歳ごろから

  東郷平八郎は兄達と、

  毎朝、未明に起きた。

 

それから「すねもあらわに」、

冬でも短い袴で歩く。

 

6時の鐘が鳴ると、

包みを抱えて町を走り、

 

西郷隆盛の弟のところに

習字を習いに行く。

 

ところが字は1時間しか書かない。

 

8時にば帰宅。

 

髪を結う。

 

母がきれいに子供の髪を結う。

 

東郷家では、

母は子供が寝ているとき、

 

頭の側を通らず、

足の側を通った。

 

「子供は国の宝であり、

 殿様に奉公する大切な体だから、

 傷つけてはいけない」

 

薩摩の女の覚悟というものは、

  本当にすさまじい。

 

 平八郎の兄弟が西南戦争で

 死んだときは、

 

母は素手で遺体を

掘り出しに行き、

 

手を血だらけにして、

子の遺体を掘って担いで

帰ったといわれている。

 

薩摩の郷中教育の背後には、

薩摩の母の猛烈な子供への

愛情がある。

 

それが薩摩武士の勇猛さと

結びついたのだ。

 

髪を結い、ご飯を食べると、

 

 その後は友人の家に集まり、

 四書の素読をする。

 

午後になると、

木刀を取ってきて、

 

示現流で 「チェスト!」

と叫んで木刀を振り回し、

 

掛け声勇ましく、

木に向かって切り込みを行う。

 

それが済むと、

 

島津忠良がつくった

「日新公いろは歌」を唱える。

 

いかに薩摩の教育が実効性を

重んじていたかがこれからわかる。

 

「昔の人の道徳を聞いても、

 自分の行いにしなかったら

 何にもならぬ」

 

薩摩藩士は、

これを子供のころから

もう何千回も唱えていた。

 

何度も何度も唱えることによって、

 

体の中に刷り込んでいき、

必ず行動にまでつなげていく。

 

これが郷中教育の特徴である。

 

なるほど・・・

 

「行動までつなげないと

 教育の意味がない」

 

・・・大変参考になる。  つづく

 

 

今日一日の人生を大切に!

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