歴史にみる教育のあり方⑤      vol.1082

◇ 会津藩の厳しさは、

 人間評価の価値基準と

 行動内容を決めただけでなく、

 

 これによって

「選挙」「子吟味」

 をやったところにある。

 

藩の定めた道徳価値で、

子供を徹底的に吟味した。

 

また現在の選挙は投票して

議員を選ぶことであるが、

 

当時は「役人の登用、採用」

を意味した。

 

この採用を行うのに

 

「子供を文武と

  道徳で吟味せよ」

 

と田中玄宰は命じた。

 

◇ 会津藩では、

 学校で人間を選別し、

 学校を官僚を吸い取る装置にした。

 

 しなかった藩もある。

 

岡山藩などでは、

人間を選別する教育を最後までせず、

 

藩校は幕末まで自由登校で、

通学は勝手次第であった。

 

しかし、

会津藩はそうではなかった。

 

一定以上の身分の藩士には、

義務教育として

藩校日新館への通学を強制した。

 

そのうえ、

階級章のようなものをこしらえて、

外見で身分をはっきり表示した。

 

◇ 会津藩は今の警察官や

  自衛官のように、

  服装で階級がわかる珍しい藩で、

 

 身分に応じた敬礼の仕方が

 決まっており、

 

いったん立ち止まって

お辞儀をするのか、

 

躇眠(そんきょ)するのか、

 

土下座までするのか、

 

相手の身分をみて、

すぐに対応を決めていた。

 

一度でもしないと、

目付が飛んできて、

 

足軽などは処罰されることも

あったほどだ。

 

◇ 日新館は士分の者だけが

 入学を許され、

 徹底した秀才教育を行った。

 

   そしてその効果はあった。

 

「昌平坂学問所」

  江戸時代の最高学府で、

 そのなかに書生寮というのがある。

 

   諸藩から人を集め、

   最優秀者を舎長にしたが、

 

この舎長を同じ藩から4人出したのは、

会津藩だけであった。

 

◇ 会津藩の教育政策は

 成功したといっていい。

 

会津藩はこの学校で

子供の段階から吟味して

人材をすくい上げた。

 

優秀な子供たちを鍛え、

 

幕末になると

公用方という組織をつくり、

京都で政局を動かした。

 

天下に鳴り響いた秀オが

国事にあたるため、

他藩もこの藩に一目おいていた。

            つづく

 

今日一日の人生を大切に!

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください