堀勝名(ほりかつな) vol.1060

旧典なりといえども、治平(ちへい)久しく、

今に至りては、時勢人情に麒輛(そご)し、

処置の当たらざることあり

 

堀勝名 は 江戸中期の人。

 

 細川重肉(しげかた)の臣で

 熊本藩宝暦改革を主導した。

 

この改革は一地方の改革であったが、

日本全士の近代化に大影響を及ぼした。

 

堀勝名の司法制度改革は

   驚異的!

 

「刑法」という言葉も

 彼の改革で広まった。

 

江戸時代は町奉行や郡奉行が

仕置きと称し、

 

奉行所の白洲で

民を裁くのが一般的であった。

 

ところが堀は、

行政官である奉行が

司法官を兼ねれば公平さを欠き、

 

仕事も煩雑になると考え、

これを廃止。

 

「刑法局」という

司法専門の役所をつくり、

 

裁判を専管させた。

 

それで熊本藩だけは、

近代国家よろしく

 

「行政と司法の分離」

を実現していた。

 

明治維新のはるか

10 0年以上前のことである。

 

それだけではない。

 

 堀は「刑務所」もつくった。

 

 元来、領主の刑罰は

 「死刑」と「追放刑」が主。

 

盗めば初犯は追放!

 

再犯は死刑!

 

これでは追放された者は、

衣食の便を失い、

飢えて再犯に及ぶ。

 

そこで堀は、

懲役刑の創設を決意した。

 

受刑者を

午前8時から午後2時まで働かせ、

日当のうち三分の一を即日支給。

 

残りを藩が貯蓄し、

出所時に更正資金として

与える制度を考えた。

 

今日、刑務所は当然の存在だが、

当時は熊本藩の発明品に近かった。

 

司法は過去に定めたルールを

 運用する世界。

 

 ゆえに先例墨守に陥りやすい。

 

 冒頭はそれを戒めた

   堀の言葉。

 

彼はむち打ちの刑を

導入にあたり、

 

実際に自分の尻を打たせ、

痛みの程度を確かめてから、

 

打つ回数を定めたという。

 

我々の旧典に

齟齬はないか?

 

行動する前に、

立ち止まって考えてみる必要がある。

 

 

今日一日の人生を大切に!

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください