死は人生の目標     vol.1059

◇ 本日は「がん死」について

 考えてみることにする。

 

 がんと闘うことの苦しみや辛さは、

 その身にならなければ、

 到底わかるものではない。

 

しかし、たとえ肉体が

がんに蝕まれようとも、

 

人間が人間であることの

尊厳を守りつづけたとき、

 

そこには、

決して滅びることのない生の証しが、

厳粛な実在となって遺る。

 

最期の日々の生き方とは、

 

とりもなおさず

「自らの人生の選択そのもの」

であるということである。

 

◇ 死を考えるとは、

 「死に方」を考えることである。

 

「死に方」とは、

 

 死を前にして

 いかに生きるかを

 考えることに他ならない。

 

世の人々のなかには、

 

「ぽっくり願望」を抱く人が

相当数いると聞く。

 

脳卒中や心臓麻痺による

突然死のほうが、

 

長々とした闘病の末に死ぬよりは、

痛みも苦しみもなくていい、

 

というわけである。

 

しかし、突然死では、

 

「自分の人生しめくくりが

  できないのではないか」

 

という思いが、トンビには強い。

 

◇ トンビが突然死より

 「がん死」という考えに

  傾いているのは、

 

 残された時間が、

 仮に一週間とか一ヶ月で

 あってもよいから、

 

 人生を総括するだけの時間が

 欲しいのである。

 

◇ 心理学者ユングは死に関して

 次のようにいっている。

 

 弾の軌道が標的に達して

 終わるように、

 

 人生は死をもって終わる。

 

したがって、

死は人生全体の目標なのだ。

 

その人生の上昇と、

その頂点さえも、

 

死に到達しようという

段階であり、

手段であるに過ぎない  と。

 

「死はまさに人生の目標」

 である。

 

その目標に向かって

しっかりがんばらなければならない。

 

<今日の名言>

たとえ地球が明日終わりであっても、

私は今日リンゴの木を植える。

      マルチン・ルター

 

*残り時間は少ないけれども、
 日々の仕事を全うする生き方が胸に響く。

 

今日一日の人生を大切に!

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