麻酔を発見した男達の末路 ⑥ vol.571

 

◇ ホレス・ウェルズから

「麻酔発見」の功績を奪い、

  特許まで取得したウィリアム・モートン。

 

麻酔の特許で大儲けを企んだが、

その思惑は完全に外れてしまう――。

 

なぜなら、麻酔は患者にエーテルを

吸わせるだけという極めて単純なもの。

 

エーテルは空気や水のように、

地球上に幾らでも存在する

「ただ同然」のものだった。

 

◇ そこでモートンは麻酔の詳細を明かさず、

    「リーセオン」という謎めいた名前を

     付けて売り出した。

 

オレンジ香料を混ぜることで、

中身がエーテルだけではなく、

 

他の薬剤も加えた独自に開発されたものだと

思わせようとしたのだ。

 

しかし、その正体はすぐに明らかになり、

リーセオンを購入せずに、

 

エーテルを使った麻酔を行う医者が

続出したのだ。

 

モートンに特許を与えた政府ですら、

公然と無視し始める。

 

法律上は特許権が成立していることから、

特許権侵害で裁判を起こすことも可能だった。

 

しかし、その対象が膨大であり、

政府すら無視している状況では勝ち目はない。

 

モートンの麻酔の特許は

有名無実化してしまったのだ。

 

これによってモートンは

経済的な苦境に追い込まれる。

 

◇ 借金が膨らみ続け、

    生活が困窮したモートンは、

    政府に十万ドルの報奨金を要求する。

 

特許権を踏みにじったことに対する

損害賠償請求のつもりだったのだろう。

 

しかし、議会での審議は二転三転し、

結論がなかなか出ないまま、

時間だけが経過していった。

 

◇ こうした中、

    誰が麻酔の発見者であるかについても

    激しい論争が展開された。

 

ウェルズが発見した亜酸化窒素を

使った麻酔を、エーテルに変えて

特許を取得したのがモートンだった。

 

このモートンに対し、

自分が発見者だと言い出したのが

チャールズ・ジャクソン、

 

モートンから亜酸化窒素に代わる

薬剤を尋ねられ、

エーテルを使うように提案した人物だ。

 

この論争に本当の発見者である

ウェルズも参戦する。

 

人の良いウェルズは、

特許料などの金銭面の要求はせずに、

発見者としての名誉のみを求めた。

 

  この三人に加えて、

  「私は以前から知っていた!」という人が

   次々に名乗りを上げ始めていた。

 

麻酔を巡る金と名誉の争いは泥沼化し、

二十年たっても収束する様子はみられなかった。

 

◇ 麻酔を巡る争いが延々と続けられる中、

     経済的に追い詰められたモートンは、

 

     精神的にも不安定となり、

     言動がおかしくなり始める。

 

1868715日の夜、

妻とともに宿泊していた

ホテルを出たモートンは、

突然馬車を降りると公園の池に飛び込んだ。

 

近くにいた警官らに助け上げられたものの、

病院に運ばれる馬車の中で息を引き取った。

 

麻酔の公開実技成功から22年、

48歳の生涯であった。

 

◇ 自分が麻酔の発明者だとして、

     モートンらと争いを続けていた

     ジャクソンの最期も悲しいものだった。

 

長引く争いの中で

アルコール依存症に陥り、

 

モートンの墓の前で叫び声を

上げるようになった。

 

意味不明の言葉を発し、

身の回りのことができなくなったジャクソンは、

 

精神病院で七年間の入院生活を送った後の

1880年に生涯を閉じた。

                              つづく

 

 

今日一日の人生を大切に!

 

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