徳川治保(とくがわはるもり) vol.1109

茶事の要とする所は、

朋友相つどいて、

信実をもって相まじり、

奢(おご)りを禁じ、

質素を本とすること

第一の事なるべし。

 

◇ 江戸時代、ほとんどの大名は

  安逸(あんいつ)に日を送った。

 

 政治は家老がやる。

 

 殿様仕事は午前中に終わり、

 あとは能を舞うか、茶碗を愛でた。

 

とりわけ茶道は

大名の趣味のなかでも

最たるものであった。

 

だが、それはある意味、

民殺しでもあった。

 

茶道具を集める費用は

膨大であり、

 

その金があれば

餓死する領民が救えた。

 

◇ それに気づいた大名がいた。

 

  水戸藩第六代

  徳川治保 である。

 

 彼の水戸藩は深刻であった。

 

 なんと10 0年間のあいだ

 人間が減り続けていた。

 

それは当然であった。

 

農政を担う郡奉行はたった四人。

 

しかも農村から離れた城下で

執務していた。

 

治保はこれを改革。

 

郡奉行を11人に増やし、

百姓家を巡らせ、

 

自分の生活費を倹約して、

その金で稗(ひえ)を買い、

餓民に配った。

 

「民を苦しめない政治をしていれば、

 あとで必ず国の利益はついてくる」

 

これが持論であった。

 

◇ この誠実な大名が

 「茶事の本意」

 という茶訓を残している。

 

珍器を集めるだけに

 心を傾けるようなのは

 最も卑しむべき事ではないか」

 

 と彼は言った。

 

◇ ある時、家臣の一人が

 治保の茶碗を割った。

 

「苔清水」という

 水戸家重宝の茶碗であった。

 

 だが治保はこういったという。

 

「茶碗が割れたのより、

 おまえが苦悩するほうが、

 わしには困る」

 

信と実をもって人と交わる茶とは、

こういうことなのかもしれない。

 

虚栄物欲を捨て去るのは

難しいが、

 

一瞬でもそれを乗り越えると、

 

すがすがしい風が

心のなかに吹いてくる。

 

治保は、

そういう茶をめざした。

 

なるほどなるほど...

 

仕事も

「他人のために協力しよう」という

広い心を持てば、

 

心にすがすがしい風が

吹き抜けるはずである。

 

そういう仕事を

目指さなければならない。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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