茶事の要とする所は、
朋友相つどいて、
信実をもって相まじり、
奢(おご)りを禁じ、
質素を本とすること
第一の事なるべし。
◇ 江戸時代、ほとんどの大名は
安逸(あんいつ)に日を送った。
政治は家老がやる。
殿様仕事は午前中に終わり、
あとは能を舞うか、茶碗を愛でた。
とりわけ茶道は
大名の趣味のなかでも
最たるものであった。
だが、それはある意味、
民殺しでもあった。
茶道具を集める費用は
膨大であり、
その金があれば
餓死する領民が救えた。
◇ それに気づいた大名がいた。
水戸藩第六代
徳川治保 である。
彼の水戸藩は深刻であった。
なんと10 0年間のあいだ
人間が減り続けていた。
それは当然であった。
農政を担う郡奉行はたった四人。
しかも農村から離れた城下で
執務していた。
治保はこれを改革。
郡奉行を11人に増やし、
百姓家を巡らせ、
自分の生活費を倹約して、
その金で稗(ひえ)を買い、
餓民に配った。
「民を苦しめない政治をしていれば、
あとで必ず国の利益はついてくる」
これが持論であった。
◇ この誠実な大名が
「茶事の本意」
という茶訓を残している。
「珍器を集めるだけに
心を傾けるようなのは
最も卑しむべき事ではないか」
と彼は言った。
◇ ある時、家臣の一人が
治保の茶碗を割った。
「苔清水」という
水戸家重宝の茶碗であった。
だが治保はこういったという。
「茶碗が割れたのより、
おまえが苦悩するほうが、
わしには困る」
信と実をもって人と交わる茶とは、
こういうことなのかもしれない。
虚栄物欲を捨て去るのは
難しいが、
一瞬でもそれを乗り越えると、
すがすがしい風が
心のなかに吹いてくる。
治保は、
そういう茶をめざした。
なるほどなるほど...
仕事も
「他人のために協力しよう」という
広い心を持てば、
心にすがすがしい風が
吹き抜けるはずである。
そういう仕事を
目指さなければならない。
今日一日の人生を大切に!
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