タモリ・ストーリー ③     vol.1028

その後、

 「伝説の九州の男

   森田を呼ぶ会」

 

   を結成し、

 

 カンパを集め、

 

3年後にタモリを

上京させることにした。

 

 

そして上京したタモリを

「この男を博多に帰してはいけない」

家に住まわせ、

 

自ら世に売り出す手伝いをしたのが、

漫画家の赤塚不二夫氏であった。

 

キャバレーの噴水から

  裸でイグアナのマネをしながら

  登場したり、

 

  飲み屋でふたりが

    本気で取っ組み合いの

  ケンカを始めたと思ったら、

 

 実はそれこそが巧妙に仕組まれた

 ギャグだったり。

 

「バカなことを、

 本気でやらなければならないとダメだ」

 

 これが赤塚不二夫の教えであった。

 

赤塚不二夫が亡くなったとき、

  タモリは8分にもわたる弔辞を

  読み上げた。

 

 しかし、実はその弔辞のメモは

 「白紙」であった。

 

そしてその弔辞、

タモリは最後にこう締めた。

 

 「私もあなたの数多くの

     作品のひとつです」

 

 

 次回は、タモリの弔辞を取り上げる。

                                         つづく

 


<今日の名言>

多くの選手が毎年年頭に際して、

同じ抱負を述べる。

 

同じ努力を誓って、

がんばりますと言う。

 

しかし、

それは素質の世界のことだ。

 

素質いっぱいのところで

技術的限界がくる。

 

そしてそれを超えられない。

 

こういう選手は二流にとどまるしかない。

 

 その一段上に才能がある。

 

才能とは、

頭脳の中に埋め込まれた情報のことだ。

 

その情報を駆使することで

一段上のレベルにいける。

 

そのことに気づくかどうか、

それが一流と二流を分ける分岐点となる。

            野村 克也

 

今日一日の人生を大切に!

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