◇ 当時40歳の谷口さんも乗っていた。
「まち子 子供よろしく」
大坂みのう 谷口正勝
29歳の父親は2歳の長男に宛てて書いた。
「しっかり生きろ
哲也 立派になれ」
52歳の夫は妻に書き残した。
「子供たちの事を
よろしく頼む。
本当に今までは
幸せな人生だった」
いくつかのメモを
日本航空「安全啓発センター」で
見たことがある。
乱れた筆跡が忘れられない。
35年前の1985年8月12日、
機体が制御不能になってから、
御巣鷹山の尾根に墜落するまでの
32分間に書かれた遺書である。
◇ 備え付けの紙袋に書かれた遺書は
画数の多い文字を避けた
仮名書きと乱れた筆跡に、
命の残り時間に追われる
人の息づかいが聞き取れる。
◇ 「2人の息子に食べさせたい」と、
谷口正勝さんは自宅の庭に
柿の木を植えていた。
事故の2ヶ月後、
初めて実をつけたという。
◇ 妻の真知子さんが
都内の小学校に招かれ、
1年生の児童に
命の大切さについて語ったと、
新聞が報じていた。
「みんなも家族に怒られると、
「うるさい」って思うよね。
でも、そういう何気ない日常が
どんなにありがたくて特別か、
考えてみてほしいの」
柿の木の話しも交えた語りかけに、
児童は一心に聴き入っていたという。
空のある限り慟哭(どうこく)
御巣鷹忌 吉田銀葉
◇ あれから35年がすぎた。
あの惨事を知らない
幼い子供たちの胸にも
届いたにちがいない。
今日一日の人生を大切に!
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