中国の平成時代の栄枯盛衰から見えてくる日本の在り方 ② vol.648

 

◇ 2001年に小泉純一郎氏が首相になると、

    毎年、靖国神社を参拝するようになるが、

 

これによって中国では反日感情が高まり、

重慶で行われた2004年の

サッカー・アジアカップでは、

 

日本のチームに対してブーイングが起こり、

また、選手のバスが民衆に取り囲まれる

という事態まで発生した。

 

◇ そして200535月にかけて、

    日本の歴史教科書問題や

    国連安保理常任理事国入りへの

    反対運動をきっかけに、

 

中国各地で大規模な反日デモが発生し、

日本料理店などが襲撃された。

 

上海の日本総領事館が中国人に取り囲まれ、

 

石やペットボトルが投げ込まれ、

総領事館の窓ガラスなどが破壊された。

 

2010年には尖閣諸島付近で中国漁船が

海上保安庁に体当りする事件が発生、

 

さらに2012年には香港の活動家が

尖閣諸島に上陸。

 

いずれも民主党政権時に起こったことだが、

 

当時の政府は中国との関係を重んじて、

情報を非公開にしたり、

 

逮捕した活動家をろくに取り調べもせずに

中国に送り返してしまった。

 

◇ こうした事態を受けて、

    当時の東京都知事だった石原慎太郎氏は、

 

  東京都として尖閣諸島を

  購入することを発表したが、

 

中国の反発を恐れた当時の野田佳彦政権は、

尖閣諸島を国有化することを決定する。

 

ところが、むしろ中国はこのことに大反発し、

中国全土で過去最大の反日デモが発生、

 

日本系の飲食店、スーパーなどが襲撃され、

略奪、放火、破壊が相次いだ。

 

暴徒は町で日本車を見かけると

片っ端から破壊し、

運転者に対して暴行を加えた。

 

ある西安の中国人は、

カローラに乗っていたため

デモに参加していた若者に暴行を受け、

 

現在もなお半身不随で

入院生活を余儀なくされているそうだ。

 

◇ 極端な反日教育の結果、

    若者たちの対日感情が非常に悪化し、

 

 当初は反日デモは中国当局が

 呼びかけていたものの、

 

一旦、デモが始まると

暴走に歯止めが効かなくなり、

 

しかも反日デモが、日頃の不満をぶつける

反政府デモへと転換する恐れも出てきたため、

 

この2012年を境に、

中国では反日デモを規制するようになった。

                                            つづく

 

 

今日一日の人生を大切に!

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