◇ スマホのアプリで確認すると、
日の出は 5時8分。
一年でいちばん昼が長い時期、
そうだ、今が まさに 夏至 だ。
「夏至」という言葉で思い出した句がある。
一日が過ぎれば一日減ってゆく
君との時間 もうすぐ夏至だ
(永田和宏)
たしかに外はもう明るく、
新調したカーテンの隙間から、
朝日がひたひたと打ち寄せていた。
◇ 太陽と一緒に目覚める動物たちは、
人間社会のリズムではなく、
もっと大きな自然のリズムと連動している。
たまたま人間としてトンビは生まれてきたが、
本来は、外でいま目覚めただろう
蟻(あり)や鴉(からす)や百合と同じ、
世界のひとかけらにすぎない。
それはトンビたち人間も同じはずだが、
社会に適応するうち、
自然の中で生きる感覚を
鈍らせてしまったらしい。
◇ 朝日の代わりに目覚まし時計の
音が響けば、夏でも冬でも、
出社の時間に合わせた画一的な朝が来る。
バスから地下鉄に乗り継いで、
目を閉じて、座席に座って身を委ねる。
地下鉄にかすかな峠ありて夏至
(正木ゆう子)
そんな都会の地下鉄でも
感覚を研ぎ澄ませれば、
闇の中の起伏を知り、
電車の揺れのうちに
かすかな峠を見いだすことができる。
これが俳人のアンテナなのであろう。
◇ トンビと社会をつなぐ回路を
ひとときシャットダウンして、
いつもと違う見方で日常を眺める。
すると、気づかなかったあれこれが
ふいに鮮やかに迫ってくる。
無意識のうちに地下鉄の起伏を越え、
夏至という季節の峠を
越えてゆくことができる。
俳人は、人に非(あら)ず と書く。
人間であることから離れ、
世界のひとかけらとなった俳人に、
季節は静かにささやきはじめる。
◇ 世俗から距離をとり旅を重ねた芭蕉は、
「俳諧は三尺の童にさせよ」といった。
言葉を飾らず素直に詠めという意味だろうが、
まだ社会とのつながりを持たない子どもは、
俳人そのものだ。
大人は子どもに、ものの名前を教え、
社会のルールを教える。
それは、自然の中で生きる彼らを引きはがし、
人間の側へ連れてくることでもある。
であるなら逆に、
トンビは子どもの中に、
大人になる過程で忘れてきた
何かを見いだせるのではないか。
たとえば、季節を感じとる力とか。
おさなごに色かひかりか紫陽花は
(紗希)
すべてを吸い込む
ブラックホールのような瞳が、
まっすぐ紫陽花を見つめている。
今日一日の人生を大切に!
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