中国人の死生観 ③ vol.336

 

◇ 中国人の死生観を知るのにもう1つ、

    興味深いデータがある。

 

それは、中国人の火葬率が

一向に上がってこないということ。

 

中国の葬儀事情を書いた、

『中国嬪葬事業発展報告』という本がある。

 

これによると、

1949年の中華人民共和国成立後、

 

2度に渡って火葬の比率が下がるという

「火葬の危機」があったのだという。

 

1度目は、文化大革命が終わり、

鄧小平氏が最高実力者として「改革・開放」の

中国の舵取りをし始めた 1978年 直後のこと。

 

中国政府は1956年に火葬を奨励するが、

1978年に  30% だった火葬率は、

1982年に 18% まで急落してしまう。

 

そして2度目は  2006年

 

前年の2005年に53%まで上がった火葬率は、

翌 2006年に48%と5割を割り込み、

 

2011年まで  48~49%  をうろうろした。

 

『中国嬪葬事業発展報告』は

2012年発行なので2011年までの

データしかないが、

 

民政部の最新の統計によると、

火葬率100%を目標に掲げたにもかかわらず、

 

2006年以降、一度も5割を回復せずに

今日に至っているようだ。

 

◇ 同書は火葬率が低下した原因について、

    1978~82年にかけての1回目は、

 

   火葬を奨励したのが文化大革命を主導した

「四人組」を中心とする極左だった

 との見方が広がり、

 

極左に対する反発から火葬を避ける動きが

拡大したと分析している。

 

これに対して2006年以降の2回目については、

当時、中国のトップだった胡錦濤総書記が打ち出した

 

      「以人為本」(人をもって本と成す)

 

すなわち共産党よりも国よりも

経済発展よりも「人間を第一とする」考え方を、

 

「自分本位で科学的根拠など

              無視してやればいいのだ」

 

というように都合よく解釈する

人間が増えたことが、

火葬率の低下につながったのだという。

 

つまり衛生面や用地の有効活用など

「科学的根拠」に基づいて

共産党や国が火葬を奨励しているにもかかわらず、

 

「人間第一なのだから、

   自分の感情を優先すればいい。

 それならば身体が灰になってしまう火葬はイヤだ」

 

ということになったという。

 

こうして火葬が減り、土葬が増えた。

 

身体が生きている時と同様、

「全く無傷」のまま土に還れる「全身而退」という

中国の伝統思想の復活が進んだのだと同書は説明する。

 

ここにも、死んでからも生きている時と

同様の状態でいたいという、

 

「命あっての物種」に通じる、

中国の死生観を垣間見ることができる。

 

◇ 先の『中国嬪葬事業発展報告』が、

  「死生観とはなんぞや?」 

   説明するくだりで引用しているのは、

 

村上春樹の『ノルウェイの森』の一節だ。

 

  これは大変興味深い。

 

「死は生の対極にあるのではなく、

   我々の生のうちにひそんでいるのだ。

   我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ。

   直子の死が僕に教えたのは、こういうことだった。」

           (講談社文庫版、上巻)

 

村上春樹が中国で熱狂的に受け入れられるのは、

全く無傷のまま土に還れる「全身而退」

通じる死生観を村上の文学に感じる

ということもあるのだろう。

 

今回の事件の論議について

 

「それはその人の死生観なのだから」

 

と言われればそれまでだが、

 

「命あっての物種、死んだらオシマイ」

 

という意識が、

日本人より強いのは間違いないようだ。

                                                      

 

 

今日一日の人生を大切に!

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