広島や 卵食ふ時 口ひらく
◇ 西東三鬼の句である。
西東 三鬼(さいとう さんき)
岡山県出身の俳人。
医師として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、
伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で
新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。
原爆投下の翌年の1946年に
広島市を訪ねて詠んだ句である。
原爆被害に関する報道や、反米的な表現に
神経をとがらせていた当時の占領当局は
俳句雑誌を検閲していた。
そして広島を題材にした三鬼の連作の
いくつかを削除するように命じた。
広島の惨状を目の当たりにした三鬼は、
言葉をのみ込み、ただ沈黙するしかなかった。
だが、長い沈黙のあと ようやく口を開いた。
それは語るためではなかった。
1個のゆで卵を食べるために。
この句の迫真性を共有、
もしくは想像できる日本人は
もはや少数派かもしれない。
他に次のような句がある。
・おそるべき君等の乳房夏来(きた)る
・中年や遠くみのれる夜の桃
・露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
・頭悪き日やげんげ田に牛暴れ
西東三鬼
今日一日の人生を大切に!
句歴15年、いまだペーペーの身です。今日初めて「広島や卵食うとき口ひらく」の心情が理解できました。なるほどと思わず膝を叩いたという満足です。と同時に改めていい句だと!