4歳のときにもうひとりの僕が生まれた    vol.165

 

 ◇ 4歳のときに

  僕の中にもうひとりの僕が生まれた。

 

  それ以来、

 

       いつも彼が見ている。 

 

       僕のやることなすことを。

 

       そのせいだろう。

 

       僕は好きなことしかやらなくなった。

 

  だって見ているから。

 

       もうひとりの僕が。

 

  彼にかっこわるいところは見せられない。

 

  ラクビーも好きで選んだ。

 

  だから死にものぐるいでやってこれた。

 

  試合でも、もうひとりの僕が教えてくれた。

 

  チャンスの中のピンチを。

 

        ピンチの中のチャンスを。

 

  攻めてせめて、攻めているとき、

  もうひとりの僕は突然敵の陣地から

        こっちを見てつぶやく。

 

  「ここを耐えればやっつけられるな」

 

  で気づく。

 

     「油断するとやれてしまうぞ」

 

  もうひとりの僕が何度勝ちを

        もたらしてくれてたか。

 

  迷ったとき、もうひとりの僕はささやく。

 

  「計算するな !  目の前の挑戦を楽しめ」

 

  そのとおり。 

 

        先が見えていたら人生なんて退屈さ。

 

  死ぬまで、トライの連続だ。        

 

   平尾誠二(前神戸製鋼ラクビー部
        ゼネラルマネージャー)

 

◇ 平尾誠二氏は、2016年10月20日 

 

     息を引き取った。

 

 享年53歳であった。

 

 トンビは一度新幹線の中で

    お見かけしたことがある。

 

 ほんとに かっこよかった!

 

 いまでも、彼がグランドを駆け抜ける姿が

 目に焼き付いている。

 

   いまわのきわの最期の言葉は

 

   「頑張る!」

 

                             であった。

 

 彼は死ぬことによって、

 もうひとりの僕とひとつになったのだ。

 

<今日の名言>

「志士は溝がく(こうがく)に在るを忘れず」 

               吉田松陰

 *改革に奔走する志士たちに対して、

       吉田松陰は「志を遂げるためには、

  たとえ自らの屍(しかばね)を溝や谷に

       さらそうとも構わないという気持ちで

     国事に臨まなくてはならない。

       そういう覚悟が必要という意味です。

  昔の偉人たちには頭が下がります。

       命をかけて取り組むことができるものを

     みなさんはお持ちですか?   

        死ぬまでトライの連続です。

 

今日一日の人生を大切に!

スポンサードリンク

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください