江戸時代に作られた永田町の文化    vol.138

 

安部首相の続投と野党再編の課題を

残した衆院選がやっと終わった。

 

安部首相の下で、改憲に反対してきた

民主党が分裂し、今回の選挙を経て、

改憲を頭から否定しない勢力が

以前よりむしろ増えてしまった。

 

戦後長く続いた「改憲か護憲か」の

対立構造には、変化の兆しが見え隠れする。

 

しかし、変えるのは並大抵ではない。

 

本日は、永田町の文化について

少し触れてみることにする。

 

◇ 江戸時代は日本人の生活様式の

     原型をつくった時代である。

 

  とくに、我々のつくる「組織」と

  その意志決定を行う日本の「政治」についは、

   江戸期につくられた文化が、

   現代にも大きく影響している。

 

「政治家の世襲」その一つである。

 

   欧米や東アジア諸国とくらべても、

  これほど国会議員の世襲率の

  高い国はない。

 

◇ 永田町では自分の所属派閥を

 

        「ムラ」と呼び、

 

      自分の選挙区を

 

          「票田」と呼び、

 

      地元に帰ることを

 

          「田の草取り」と呼ぶ。

 

   永田町では今なお「ムラ」意識が

    色濃くまだ残っている。

 

   まるで、自分の田んぼを代々相続するように、

    父親から選挙区を世襲して、

   また父親と同じ派閥のムラに入れてもらう。

 

   これは日本の政治が、

 江戸時代の「ムラ」の組織文化の

 影響を受けていることを示している。

 

◇ この国の議会の原型というのは、

    江戸時代の庄屋たちが、

    明治になって大地主となり、

    いわゆる地主組織をなしたものだ。

 

   いわゆる江戸時代の庄屋の

 「寄り合い」が地方議会の原形であり、

    明治維新は、この旧庄屋たちの政治進出を

    可能にした革命であったとさえいえる。

 

    歴史には、流れというものがあり、

   どこかで長く育まれた組織文化は

    容易にはなくならない。

 

   江戸時代のムラ文化は、

  永田町の文化になり、

  軍隊の文化にも、会社の文化にも流入する。

 

 いったん歴史において大きな流れが

 できると、その流れに逆らうことは、

 何人たりともできないのだ。

 

 幼少時から家庭ですりこまれた

 家族内の文化は、のちのちまで

 大きく影響をして、

 一生ついてまわるのと同じだ。

 

 長い間に渡って培ってきた

 生活様式や文化から逃れることは、

 容易なことではない。

 

 はたして憲法を変えることができるのか?

 

 庶民は見守るしかない。

 

<今日の名言>

大丈夫 そんな心配することたぁありませんよ。

男の子はね 

親父とけんかして家でるくらいでなきゃ 

一人前とは言えません。  by寅さん

 

今日一日の人生を大切に!

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