田中角栄の供花(くげ)は 2度届く    vol.114

衆議院の解散が濃厚。

 

想定される総選挙の日程は、

10月10日公示、22日投開票。

 

ずれ込んでも、29日投開票になりそうだ。

 

野党は、疑惑隠しだ、大義がないと、さっそく反発。

 

国民は、「また選挙か~」と醒めた目で

みているのではなかろうか。

 

選挙という言葉を聞いて、

トンビが思い出すのが「田中角栄」

 

「歩いた家の数しか票は出ない」

 

「手を握った数しか票は出ない」 と唱え、

 

自派の候補者に “ドブ板選挙 ” を強く推奨した。

 

本日は田中角栄という人間の別の側面を

垣間見ることがエピソードを紹介する。

 

◇ 角栄は、人の「死」について

    とりわけ敏感であった。

 

    ロッキード裁判が世間の注目を

    集めていた1970年代、三木派の代議士、

    渋谷直蔵の夫人が若くし病没した。

 

   角栄は訃報を聞くと同時に、

   渋谷の地元である福島に

   供花を届けさせた。

 

   その数日後、通夜と葬儀が

   執り行われることになった。

 

   夏の暑い日、渋谷の地元には

  見たこともない大きな生花が届けられた。

 

   配達人が送り主のメッセージを

   喪主の渋谷に見せた。

 

   差出人は田中角栄だった。

 

「暑い季節、前に贈った花は

      しおれているでしょう。

            新しい花を贈ります。

 

   どうか新しい花と変えてください。

          ご冥福をお祈りいたします」

 

   渋谷は思わず目頭に手を当てた。

 

   後に渋谷は、派閥幹部にこう語ったという。

 

「角さんのムラに鞍替えしたいと思った。

             あれほど胸を打たれたことはない。」

             *ムラ :  派閥

 

   田中角栄は 中学校しか出ていないが、

   誰よりも人の気持ちがよくわかる人であった。

 

今日一日の人生を大切に!

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