Post Coronaの令和時代  vol.743

◇「平成の時代」と比べると

 「Post Coronaの令和時代」

 大きく変わっていると予感する。

 

 新型コロナウイルスの

 終息がなかなか見えず、

 

数え切れないほどの人が

困窮に陥っている現在、

 

未来のことを考えるのは

まだ時期尚早かもしれない。

 

しかし、暖かい春の陽光が

必ず訪れるように、

想像を絶する現状もいずれは終息する。

 

Post Coronaの令和時代」

 大きく変わっていることは間違いない。


 

日本社会が明治維新以降に

 繰り返してきた

「破壊」「繁栄」には

 30という周期性がある。

 

この周期が継続した場合、

2020年は時代の節目であり、

 

Post Corona」以降、

日本は「繁栄の時代」

入ることを示唆している。

 

ただ、気になることもある。

 

1990年から30年の「破壊の時代」

 過去の時代の「破壊」と比べると

 スケール感が小さい。
 

 

「破壊」というよりは

「停滞」という言葉が当てはまる。

 


しかし、今回の新型コロナウイルスの

パンデミックにより、

 

ここに来て地球規模の「破壊」

起こってしまった。

 


 インターネット・テクノロジーは、

  情報収集等には有効であるが、

 

人移動や集会が

Lock Down されると、

 

社会の経済活動だけではなく、

文化活動をも阻害する。

 

つながりや交わりがない社会は、

感染症に伴う恐怖や不安は抑制できても、

喜びや楽しみをも毀損してしまう。

 

今回の騒動で、

 強制的に「働き方改革」を

 余儀なくされた企業は多い。

 

企業の損失は甚大ではあるが、

働き方が大きく変わり、

 

通勤地獄の時間帯に列車に押し込まれて

非人道的な扱いを受けていたということに

多くの人が気づいてしまった。

 

また、各種の会議、打合せも

わざわざ集まらなくても

WEB会議で十分であり、

 

やらなくても良い不要な会議や

仕事も多数見つかった。

 

V型回復への期待も

 あるかもしれないが、

   同じところへ戻ることは決してない。

 

痛みは伴ったが、

違う働き方を体が覚えてしまったからには、

元に戻ることは決しないとトンビは思う。

 

世界各国の現状から比べ、

 日本の新型コロナウイルス対策に関して

 内外から様々な批判が聞こえてくる。

 

全く人影がない世界各国の街と比べると、

日本では比較的、平穏に人が移動をし、

 

カウンターで並んでラーメンを

食べている姿がTV に映しだされている。

 

これは、

 

日本人が危機に対して緩いからか?

 

危機に対して平和ボケだからか?

 

衛生管理に対して厳しいからか?

 

陽性が判明した場合は、

 無症状でも隔離することで

 感染の拡大を抑制する措置は重要だ。

 

ただ、不安が不安を煽り、

無症状者・軽症者が一気に

医療機関へ診療に訪れたら、

 

現場のキャパシティを超えて、

重症者へのケアが出来なくなり、

死亡者が増えるかもしれない。

 

このような医療崩壊は

社会として何よりも避けるべき状態だろう。

 

ただ、パンデミックで最優先すべきことは

重症者・死亡者の抑制だと思う。

 

このような観点から、

 各国の死亡者データを

 人口対比で比較してみた。

 

その国の全員が感染している

という仮定の致死率になる。

 

44日の時点、人口百万人あたり、

  日本   0.6

 中国    2

 韓国    4

 米国     26

 ドイツ          17

 英国          64

フランス      116

イタリア      254

スペイン      256

 

データは過去から今までの

現状しかわからず、

これからの現状を正確に当てることはできない。

 

ただ、そこには「何か」の理由があって、

日本人の重症者・死亡者数が

比較的に低いとしか思えない。

 

その「何か」は、

Post Coronaの令和時代」

「繁栄」に重要な要素であるのかもしれない。


 

今日一日の人生を大切に!

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