◇ 田中玄宰は
「俺は家老を休む」と言って、
1年間、徹底して勉強。
全国の藩政を研究し、
教育によって藩士を締め付け、
藩を立ち直らせた実例を
見つけだした。
それが 熊本藩 であった。
◇ 藩主・細川重賢(しげかた)が、
堀平太左右衛門(堀勝名)
(ナナクマ・トンビ397号参照)
という家臣を登用して、
宝暦改革を行った。
藩士を学校で鍛える。
鍛えた上で試験をやり、
一定の教育水準に達しない藩士は、
場合によっては、録を減らす。
成績の良い藩士は
藩政に登用する。
熊本藩はこのやり方で効果をあげ、
富強になっているらしいとの
情報を得た。
◇ そこで玄宰は
熊本藩に頼んだ。
「政治顧問を
派遣してもらいたい」と。
そこで熊本藩士・古屋昔陽(せきよう)
という学者がきた。
田中は彼を会津藩の
政策ブレーンに据え、
熊本藩と同じような改革を始めた。
つまり、会津藩は
熊本藩の教育システムを
そのまま導入して、
藩の財政再建を実施しようと
考えたのであった。
つづく
<今日の名言>
過ぎ去ったものは、再び戻らない。
賢者は現在と未来について
考えるだけで手が一杯だから、
過ぎ去った事柄をくよくよ考えている暇や
ゆとりがない。
フランシス・ベーコン
*暇人は過去のことをくよくよ考える。
賢人はそんな暇はない。
暇な時間を作らないようにしましょう。
今日一日の人生を大切に!
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