◇ 江戸時代の日本人にとって、
藩は目的達成のためにつくられた
大規模な組織として存在していた。
その意味で、江戸時代の藩は
日本独自の文化なのだ。
◇ その文化が江戸時代に生まれて
育ったのかというとそうではない。
最初に武士と藩を結びつけたのは、
濃尾平野の織田信長であった。
それを豊臣秀吉が改良。
徳川家康がそのシステムを全国展開した。
それまでの中世の武士は「主従制」であったが、
近世の武士は「殿様と家来の主従関係」であり、
そこには大きな違いがあった。
◇ 江戸時代の武士は、
どんな武士の集団かというと、
非常に集権的だ。
つまり、主君が絶対。
まず、 お城がある。
その下に、城下町があって
殿様に
「おまえ、この屋敷に住め」
といわれて、
ほとんどの家来が近隣に住んでいた。
槍や鉄砲の足軽組に稽古をつけて
常に臨戦態勢でいたわけだ。
家臣のほとんどが、いつも近所に
同居している絶対的主従制なのだ。
この君主絶対の組織は家族的な意識を持ち、
「家中」をなしていた。
◇ 中世までは、主君のもとに家臣の
大半が常駐していることは、
当たり前ではなかった。
中世らしい武士団というのは、
「必要な時に呼ばれたらいきます」
という主従関係であった。
家来は君主のもとに常駐しているとはかぎらない。
甲斐の武田氏であれば、甲斐信濃の国人が
ぞろぞろお館にあつまってくる。
東北の伊達でも、越後の上杉でも、
広島の毛利も似たようなところがあった。
都から遠い辺境地域はみなそんな感じであった。
では、 なぜそうなるのか?
それは、領地で農業をやっているからだ。
君主に呼び出されたときだけ、
そのときだけ
「いざ鎌倉」 とか 「いざ甲府」
に出ていく。
しかしそのうちに田植えの時期になると
みんなそわそわしだす。
大雨が降っても心配だし、日照りが続いても
地元の事が心配でたまらない。
そわそわ そわそわで
当然、戦いどころではなくなる。
早く地元に帰りたい!
これでは天下はとれない。
◇ これは日本だけでなく、
ヨーロッパも同じだ。
ほ ~~~~
18世紀までのヨーロッパの戦争は、
いわば「国王の戦争」と
いうべきものであった。
兵士は農業に携わるものが多く、
たいていは農閑期に戦うのが主であった。
長引いたとしても農繁期が近づくと
兵士が浮き足だってしまう。
心配で そわそわ そわそわ
そこで、そろそろ この辺でということに、
お互いに そのようになり、
いい感じで自然と終戦に向う。
ほ ~~~~
◇ ところが、日本の濃尾平野は
ちょっと状況が違っていた。
濃尾は一面が平野なのだ。
ひたすら平地。
ほとんど坂がない。
そのため集権的な組織ができやすい。
暇さえあれば城下町で一致団結して、
戦闘訓練をやることができた。
だから濃尾地方タイプの武士の集団に
鉄砲を持たせたらその威力は、
当時からすごかった。
織田信長の天運
と
濃尾平野の地政学的ないい条件
が結びつき
あっという間に天下を統一してしまった。
つまりこの集権的な組織が
歴史の大きな転換点となったということだ。
*今日一日の人生を大切に!
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