歴史にみる教育のあり方⑧ vol.1085

◇ 佐賀藩には「弘道館」という

  一大藩校があった。

 

  生徒を内生と外生という

  2つの校舎に分け、

 

まず、6-7歳になると

外生として小学に入れた。

 

それから16-17歳になると

中学に入れ内生にした。

 

25-26歳になって、

ようやく卒業させた。

 

しかし、ここからが

佐賀藩の厳しいところで、

 

年齢相応の学業を

成就できなかった佐賀藩士は、

罰として家禄の10分の8を除いた。

 

実に80%の俸禄カットであった。

 

現代でもこのくらい

給与をカットされたら、

必死で営業をやるかもしれない。

 

◇ さらに佐賀藩には、

  武士が命をいとわず、

 

 すさまじい奉公をする

 藩風があった。

 

九州諸藩には、

そのような藩風のところが多く、

 

柳川藩、熊本藩、佐賀藩などは、

藩主への身の投げ出しかたが

半端ではなかった。

 

◇ 大隈重信は、

  この佐賀藩の型にはまった

  厳しい教育を批判している。

 

 「朱子学が諸悪の根源」

 

 と言っている。

 

つまり型にはまった

朱子学だけをやらせて、

 

朱子学的模範解答を答える者を

俵遇した。

 

そうしないと80%の家禄が

没収されてしまう。

 

大隈はこの教育が嫌いで、

 

「人間を同じ鋳型に入れる制度で、

 藩士の不腸(ふき)の気性を失わせた」

 

「佐賀藩の学制は

 幾多の俊英を凡庸たらしめた」

 

と総括している。   つづく

 

<今日の名言>

もしあなたが自分の人生の計画を作らなければ、

おそらくあなたは誰か他の人の計画に

組み込まれてしまうだろう。   

        ジム・ローン(思想家)

 

*自分の人生計画を作っていますか。
   もしなければ他人の人生になって
   しまうかもしれません。

 

今日一日の人生を大切に!

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください