昭和がわたしたちを見つめている   vol.348

 

◇ 平成最後の、戦争を省みる夏がゆく。

    まもなく訪れるのは次の時代だ。

 

そして東京五輪・パラリンピックが間近に迫る。

 

しかしその舞台となる新国立競技場は、

戦争の記憶と切り離せぬ存在であった。

 

◇ 1943年10月21日、明治神宮外苑の

    この場所で出陣学徒壮行会が開かれた。

 

訓示は、ひときわ高ぶった声の東条英機首相。

 

答辞を読んだのは東京帝大の一学生だ。

 

「生等(せいら)、もとより生還を期せず」

 

「今や見敵必殺(けんてきひっさつ)

                             の銃剣を引っ提げ」……。

 

降りしきる雨のなかの悲壮な情景は生々しく

ニュースフィルムに焼きつけられた。

 

その人、江橋慎四郎氏は今春、

97歳で亡くなった。

 

戦争をくぐり抜け、戦後を生き抜き、

まさに現代史の証人だった。

 

出陣学徒壮行会での答辞を終生、

彼は背負っていたかもしれない。

 

命脈を保ってきた「昭和」が、

こうして消えようとしている。

 

◇ 振り返れば 「平成 」とは、

   あの戦争をたどりうる貴重な歳月だった。

 

戦争体験、戦場体験を持つ人々が

少なからず存命だったのだ。

 

いまのシニアは、そんな親世代から戦争の話を

じかに耳にした最後の世代である。

 

トンビのまわりには

「満州」「南方」から

引き揚げた親戚がいた。

 

「仏印」なる言葉を口にする年配者もいた。

 

◇ 戦後73年という時間距離は、

    明治維新から日米開戦までに等しい。

 

密着感を持つにはあまりにも遠い。

 

かくなる時代に、

これまで以上に大切になるのは

歴史を多面的に見る努力だろう。

 

記録を冷静に捉える姿勢だろう。

 

◇ 歴史にはさまざまな側面がある。

 

見たいものだけを見るのではなく、

正にも負にも、虚心に目を凝らさねばならない。

 

あの戦争は日本人も苦しめたが、

 

アジアの人々の痛苦に

思いをいたさなければ全景は見えない。

 

雨の神宮外苑から21年後、

同じ場所で前回の東京五輪は幕を開けた。

 

そこからまた半世紀あまり。

 

こんども神宮の森は大いに沸くだろう。

 

そんなわたしたちも、

はるか遠景の昭和を見つめ続けたい。

 

昭和もわたしたちを見つめている。

 

しっかり記憶に止めるようにと

訴えるかのように。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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