歴史にみる教育のあり方⑩ vol.1087
◇ 会津と佐賀とは 違うタイプの教育も、 あの時代に存在していた。 薩摩溜の人材育成だ。 薩摩藩の制度は、 高禄の家臣はあえて政治にかかわらず、 経済のことは、 小禄の才知…
◇ 会津と佐賀とは 違うタイプの教育も、 あの時代に存在していた。 薩摩溜の人材育成だ。 薩摩藩の制度は、 高禄の家臣はあえて政治にかかわらず、 経済のことは、 小禄の才知…
◇ 佐賀藩の「学問地獄」は激しい。 「明や清の登科及第法より厳酷」 とまで大隈は言っている。 彼のつくった早稲田の校風が 自由なのは、そのせいなのである。 会津や佐賀藩士は、 視野…
◇ 佐賀藩には「弘道館」という 一大藩校があった。 生徒を内生と外生という 2つの校舎に分け、 まず、6-7歳になると 外生として小学に入れた。 それから16-17歳…
◇ 佐賀藩も、 会津藩のありさまに近い。 藩が教育を握り、 藩士の思想を鋳型にはめ、 藩校で官僚を育てていた。 要職者は、みな学校成績の よい人間から選んだ。 ◇ 佐賀藩…
◇ 会津藩では日新館の外でも 子供の教育をした。 「ならぬものはならぬ」で有名な 「什(じゅう)の掟」 である。 年長者の位言うことに 背いてはなりません &n…