豆は豆であり米は米   vol.895

以前、江戸時代の朱子学に

  関する本を読んだことがある。

 

強力な理論体系と

きわめて合理的な発想から、

 

「人間はかくあるべし」とし、

 

やればできるんだ !

 

聖人になれるんだ !

 

 

という教育があったそうだ。

 

しかしこのやり方を、

荻生徂徠(おぎゅうそらい)

という人が批判した。

 

朱子学では、

 とにかくトレーニングをすることで

 人は優れた人間になれるという。

 

 しかし、荻生徂徠はこう述べた。

 

人間っていうのは、

もともと持って生まれた特性がある。

 

豆は豆だし、米は米だ。

 

豆と米とどっちがいいかではなくて、

 

米は米としての役割があって、

豆は豆としての役割があって、

 

それを周りのものが、

これは米として成長させよう、

 

これは豆として成長させようと

していくことこそが、

 

やっぱり人間が本当に

成長していくことなのだと。

 

なるほど。

 

全員を米にするとか、

全員を豆にするというような

朱子学全盛ときに彼が言ったことは、

 

現代にも通じる、

本来の教育のあり方かもしれない。

 

 

今日一日の人生を大切に!

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